アルゲリッチのショパン「24の前奏曲」(1975.10録音)ほかを聴いて思ふ

chopin_preludes_argerich525悲惨な状況のなかにあって、ショパンが渾身の力で生み出した音楽の大らかさ。
この作品集は、一言でいうと「宇宙的拡がり」を持つ。西洋音楽が創造したすべての調を用いて作曲された24曲。

僧坊の丸天井にプレイエルのピアノが美しく響きわたった。だがショパンには、僧坊の生活は惨めなものでしかなかった。修道院はどこもかしこも荒れはてていて、丸天井は埃だらけ、作曲するための机は簡易ベッドの横に在る薄汚れた机で、そこに鉛製の蝋燭立てがあるだけだ、このような環境で作曲する気になれるわけがないと、フォンタナに嘆きの手紙を出した。
小坂裕子著「作曲家◎他人と作品シリーズ ショパン」(音楽之友社)P119-120

そんな状態で音楽をしたショパンの天才。
そしてまた、前奏曲集の筆舌に尽くし難い美しさ。もちろん悲愴な哀感あり、愉悦に溢れる感情あり。ましてやマジョルカ島の風情を見事に表現した音楽の凄さに感嘆の念を禁じ得ない。

そして、あくまで自然体のアルタ・アルゲリッチ。
一切の虚飾なく、あるがままのショパンを表現する。

ショパン:
・24の前奏曲作品28(1975.10録音)
・前奏曲第25番嬰ハ短調作品45(1977.2録音)
・前奏曲第26番変イ長調遺作(1977.2録音)
マルタ・アルゲリッチ(ピアノ)

まるで生きもの。
音楽は絶妙な伸縮の中で、時間を謳歌する。
例えば、有名な第15番変ニ長調「雨だれ」の軽快な雨音と雄渾なそれとの美しい対比。

死んだ修道僧の影がうかびあがり、聴いている者の前を、荘厳で陰気な葬列となって通りすぎていくようだ。
(ジョルジュ・サンド)
遠山一行著「カラー版作曲家の生涯 ショパン」(新潮文庫)P145

透明な水の清らかさ。その中で、聖アルゲリッチはありのままに歌う。
第16番変ロ短調の劇性、続く第17番変イ長調の憂愁、どこをどう切り取ってもショパンの神髄であり、アルゲリッチの真骨頂。
また、第21番変ロ長調の煌めき。あるいは、第22番ト短調の強靭な打鍵から生れる爆発。第23番ヘ長調はあまりに可憐だ。
終曲ニ短調は絶品。

逃げださなければいけないのじゃないかしら。どこか遠いところにある修道院に入れてください、とお父様にお願いすべきじゃないかしら。ところが情けないことにまさにこの城塞から離れ、修道院に押しこめられるのがこわくて、今のあたしは自分の行動をきめているんだもの。それがこわさに、あたしは本心を隠したり、クレセンチ侯爵のおおっぴらな親切や心づかいを受けるふりをするという、いやな、恥ずかしい嘘をつかせられている。
スタンダール作/大岡昇平訳「パルムの僧院(下)」(新潮文庫)P134

クレリアの言葉だが、サンドに通じる理性がある。ひょっとするとそれはアルゲリッチにもあるのかも。

 

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3 COMMENTS

雅之

今の私にとって、アルゲリッチに見習うべきは、徹底的なレパートリー絞り込みについてです(指揮者では、カルロス・クライバー、コバケンなども同様)。

演奏者でさえそうであれば、聴く側としても、本当に自分にとって掛け替えのない曲の音盤だけを残し、後は断捨離するのみだと思ったから実行中。

アマチュア演奏家としては、マーラーの交響曲第2番「復活」だけをプロよりも深く研究し指揮し続けたギルバート・キャプランがじつに羨ましかったです(今年の元旦に亡くなられましたが)。

「何でも弾けます」「どんな曲でも知っています」なんてどだい無理であれば、クラシック音楽については「徹底的に狭く深く」が、いつの間にか私の理想になりました(その分、音楽以外についての見聞をうんと広めたいですから物の総量は一向に減りません。だからこれも良し悪しなんですがねえ・・・笑)。

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岡本 浩和

>雅之様

>クラシック音楽については「徹底的に狭く深く」が、いつの間にか私の理想になりました

わかります!とはいえ、僕はまだまだ煩悩が・・・。知らない曲を見るとつい知りたくなってしまいます。
ましてや滅多にステージにかからない曲が実演で聴けるとなると、予習を兼ねて音盤を集めたくなってしまうのです。嗚呼・・・。

しかし、物の総量は変わりませんか!(笑)
さすがです。
その知的好奇心、探究心、見習わなければいけないと常々思っております。

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