
「私と同じように勤勉な人ならば、私と同じ程度のことはできるだろう」。
バッハのすごさは、完璧な、論理的構成力と、人の感性に訴えかける心の両方を完全に備えていることだ。
バッハの勤勉さは人の何倍もの努力であったろうし、そもそも天性のセンスがあったがゆえに何世紀もの後の人々を感動させる作品を生み出すことができたのだと思う。
モーツァルトを感動させたバッハのフーガ。
あるいは、ベートーヴェンを震撼させたバッハのフーガ。
コンスタンツェ・モーツァルトが「いちばん技巧的で、いちばん美しい音楽」としたフーガを、バッハは完全なる筆致で人類に届けた。(バッハはフーガの天才であったが、それ以上にいわゆる舞曲に長けていた)
ピリスの弾くバッハは、バッハの堅牢な構成を突き抜け、いかにも即興風に、自由自在の風を吹かせているように感じられる。グレン・グールドとは違い、リヒテルとも異なる、何とも言葉にし難いアプローチでの録音は(キース・ジャレット以上にキース・ジャレットのようだ)、人類の至宝だと思う。
パルティータの前奏曲から音楽は胸に迫る。
何という優しさ、何という慈悲!
続く、性急なアルマンドは、どこまでも推進力高く、音色の絶妙な表情付けが聴く者を魅了する。
クーラントの翳。こういう人間的な情感は、バロック音楽の域を超え、また時代を超え、バッハの時代にはなかった浪漫を覚える。
サラバンドが真に美しい。ここには、人類のすべての業を背負い、自らを磔刑に処そうとするイエスの覚悟が感じられまいか。ピリスは深沈とした面持ちを呈しながら、内側は何と溌剌としているのだろう。
それに、何て優雅なメヌエット。
あるいは、終曲ジーグの弾ける歓び!
その翌々日、わたしは次に掲げるような奇怪な手紙を受け取った。そこには、冒頭の引用句としてシェークスピアの詩の幾行かが書かれていた。
That strain again, _it had a dying fall:
O, it came o’er my ear like the sweet south,
That breathes upon a bank of violets,
Stealing and giving odour. _Enough; no more,
‘Tis not so sweet now as it was before…
今の曲をもう一度! 滅入って行くような調べだった。おお、まるで菫の咲いている土手を、その花の香をとったりやったりして、吹き通っている懐かしい南風のように、わしの耳には聞えた。もうたくさん・・・。よしてくれ。もうさっきほどに懐かしくない。(坪内逍遥訳)
~ジッド/山内義雄訳「狭き門」(新潮文庫)P166
マリア・ジョアン・ピリスのJ.S.バッハを聴いて思ふ 