クレンペラー指揮フィルハーモニア管 モーツァルト 交響曲第41番ハ長調K.551(1962.3録音)ほか

偏屈だといわれたオットー・クレンペラーの演奏は、一部の例外を除き、いずれもが実に真っ当な、そして、感動的なものだ。極度の躁鬱病だったらしいが、例の、ブルックナーの交響曲第8番終楽章の(まさに自己中心的な改竄としか言えない)恐るべきカットなどは、躁状態のときの産物であろう。しかしながら、そういう状態のときでも、バイエルン放送交響楽団とのメンデルスゾーンの「スコットランド」交響曲終楽章コーダの改訂など(これも間違いなく、作曲家への冒瀆なのだが)、「なるほど!」と納得させるものがあるのだから面白い。

クレンペラー指揮ニュー・フィルハーモニア管 ブルックナー 交響曲第8番(1970.10-11録音) ふたたびクレンペラーの「スコットランド交響曲」(1969Live) ふたたびクレンペラーの「スコットランド交響曲」(1969Live)

わたしが子供だったころ、ケルンで生まれ育った父と伯父は、1917年から1924年までケルンのオペラ座の命運を握っていたという、謎めいた「楽長クライスラー」の話をよくしてくれたものだ。この人の本当の名はクレンペラーだ。それでもみな、「クライスラー」とか「クレ・エンペラー」とか「のっぽのオットー」としか呼んでいなかった。彼がE.T.A.ホフマンの幻想小説の登場人物じみていて、声高で権威的な態度で知られていたからだ。
エーファ・ヴァイスヴァイラー著/明石政紀訳「オットー・クレンペラー―あるユダヤ系ドイツ人の音楽家人生」(みすず書房)P1

周囲はすでにこの頃からクレンペラーの悪態というか、自己中心的な態度に呆れていたかのようだ。

オペラ座は、モルトケ通りにあった父の実家から遠くない当時のパノラマ広場、今のルードルフ広場にあった。クレンペラー一家が住んでいたモーツァルト通りもすぐ近くだった。その付近をクレンペラー夫婦が、ふたりの子供と年老いたユダヤ教徒の両親を連れ歩いている姿がよく目撃された。クレンペラー本人はいつも急いでいて、表情には少々影がさし、突進するような足取りで歩を進め、あたかも大事な曲の出だしをやり損ねないかと不安に駆られているような感じだった。彼は度の強い眼鏡をかけ、まわりの世界がほとんど目に入っていないような様子だったという。
~同上書P1

変人オットー・クレンペラーの真面目。
それは、彼が残した録音を、特に、ウォルター・レッグの協力の下(袂を分かった後のニュー・フィルハーモニア時代はピーター・アンドリー)、EMIに残した晩年の記録に刻印される。数多あるそのどれもが素晴らしい出来であり、指揮者オットー・クレンペラーの真髄を伝える。

モーツァルトを聴いた。

モーツァルト:
・セレナーデ第13番ト長調K.525「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」(1964.10.29-30&11.4録音)
オットー・クレンペラー指揮ニュー・フィルハーモニア管弦楽団
・交響曲第39番変ホ長調K.543(1962.3.26-28録音)
・交響曲第41番ハ長調K.551「ジュピター」(1962.3.6-7録音)
オットー・クレンペラー指揮フィルハーモニア管弦楽団

どれもが絶品。
個人的には、モーツァルト最後の交響曲の、一切の無駄のない威容を無情に、そして完璧に音化するクレンペラーの演奏が好きだ。

クレンペラーのモーツァルトはテンポとアーティキュレーションにおいて古典的であり、劇場感覚に優れ、ブルーノ・ワルターの演奏にある「甘さ」はなかった(リヒャルト・シュトラウスの指揮するモーツァルトこそ彼の模範だった)。
1954年10月に録音された「ジュピター」交響曲の感動的な演奏は、フィルハーモニア管弦楽団との長い関係の始まりとなった。1971年9月のセレナーデK.375でその関係を終えるが、この間、クレンペラーは交響曲11曲(うち5曲は2回)、セレナーデ5曲、オペラ全曲4曲、そしてピアノ協奏曲1曲を録音した。

(リチャード・オズボーン)

速過ぎず、遅過ぎず、理想的なテンポの終楽章モルト・アレグロが絶品。

クレンペラーの「ジュピター」交響曲を聴いて思ふ クレンペラーの「ジュピター」交響曲を聴いて思ふ

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