ボールト指揮BBC響のホルスト「惑星」(1945録音)ほかを聴いて思ふ

第二次世界大戦は、ヨーロッパの首脳のほとんど誰もが望んでいなかった戦争だったという。ひとつのボタンの掛け違えで矛盾が矛盾を呼び、もはや退くことのできないところまで事態が進んでしまうと、ある意味人は「一か八か」という狂気を発するようだ。

ナチ指導部にすら、最後まで不安をもつ人間がいた。戦争そのものというより、結果としての敗戦を恐れてではあったが、ゲーリングはヒトラーに「これは一か八かのバクチですぞ」と警告した。ヒトラーは次の言葉で一蹴した、「私の人生はこれまですべて一か八かでやってきたのだ」と。ゲーリングならずとも恐れ入るほかない答えだが、それをヒトラー個人の性格のせいにすることはできない。二年後、日本もまた「清水の舞台から飛び降りるつもりで」、第二次世界大戦に参入する。ここにあるのも、一か八かのバクチの論理にほかならない。
木村靖二/柴宜弘/長沼秀世著「世界の歴史26 世界大戦と現代文化の開幕」(中央公論社)P451

戦争末期のイギリスでの、それもロンドンではなく異例の(北方80キロに位置する)ベドフォードでの収録。BBC交響楽団のいわゆる疎開先がそこだったかららしい。戦禍激しい最中での「惑星」は、どこか鬼気迫る演奏であると同時に、第2曲「金星—平和をもたらす者」や終曲「海王星—神秘主義者」などでは実に静かな音調が僕たちの心を癒してくれる。おそらく英国民は誰しも勝利を確信していただろうし、ましてや指揮するエイドリアン・ボールト卿は、何より平和を希求し、ホルストの傑作に向き合っていただろうことと想像する。
ここに投影されるのは、大英帝国の長い歴史に裏付けられた自信。颯爽としたテンポで奏される第4曲「木星―快楽をもたらす者」は、中間部の美しい旋律と合わせその証のように思われる。

・ホルスト:組曲「惑星」(1945録音)
サー・エイドリアン・ボールト指揮BBC交響楽団
・エルガー:エニグマ変奏曲作品36(1947録音)
サー・ジョン・バルビローリ指揮ハレ管弦楽団

また、バルビローリ卿による「エニグマ変奏曲」は、感情移入少なく、極めて冷静な演奏だが、英国的格調の高さの保持された逸品。ここには、まるでひとつの物語をひもとき淡々と読み聞かせるような愛がある。
戦後すぐのあの時代であればこその、どちらかというと即物的な解釈に感応。たとえば、第9変奏アダージョ「ニムロッド」などもいかにもそっけない。

1801年―。いま私は、家主を訪問して帰ってきたばかりのところだが―この唯一の隣人とは、これから何かにつけて、かかり合いになることだろう。だが、じつに美しい土地だ!このイングランドのどこにも、これほど完全に、世のさわがしさからへだてられた環境を、見つけることはできないと信ずる。人間ぎらいにとっては、理想の天国だ。そしてヒースクリフ氏と私とは、その寂しさをともに味わうのに、ふさわしい相手だ。あれはすばらし男だ!私は、馬を乗りつけたとき、彼の黒い目が、ひどくいぶかしげに眉のかげに引きこもるのを見、それから私の名を告げたとき、彼の指がかたく自己を守ろうというように、チョッキのなかにかくれるのを見たが、それが私の心がどれほどあたたかく彼に対して燃えたか、彼もほとんど知るまい。
「ヒースクリフさんですね」と私はいった。
エミリ・ブロンテ作/阿部知二訳「嵐が丘(上)」(岩波文庫)P22

エミリ・ブロンテのこの何とも儚い、そして客観的な処女作の始まりが、意味深だ。
バルビローリ卿の「エニグマ」然り。

この時代の録音は、ほぼ一発どりという条件もあるのだろう、音楽の勢いと力が並みでなく、古い録音から発せられるエネルギーの総量のすごさにいつも圧倒される。気のせいかもしれないが。

 

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