ジョン・コルトレーン最初で最後の来日公演。当時、あの公演を理解できた人はどれくらいいたのだろう?延々と続く、いつまでも終わることを知らない即興の妙に浸るには相応の集中力と忍耐力が要っただろう。
たぶんコルトレーン自身は恍惚の世界にあったはずだ。
無心の状態だったといっても良い。「我なし」の状態だったからこそ人々に与えた感銘は並大抵でなかった。何より共に演奏した他のメンバーとの神がかり的インタープレイに、大げさだけれど人間業を超えた奇蹟を思う。
ところで、あの頃は来日アーティストの共同記者会見が必ずあった。
Q:あなたがアトランティックに吹き込んでいた時代は、たいへんメカニカルな演奏でした。現代の『アセンション』などたいへんフリーですね。そのスタイルにはおおきな変遷が見られる。何がそうさせたのですか?
JC:人生が変わったね。人生は変化の連続であり、私も変わっていくし、私の音楽も必然的に変わっていく。
Q:テナーだけではなく、ソプラノをはじめ、いろいろな楽器を使うが、何故か?
JC:それは、表現の手段の拡張です。各楽器の特徴を生かして、ひとつの楽器だけでは表現しきれない面を、カヴァーしているのです。
Q:アルバート・アイラーについて、どう考えるか?
JC:彼は偉大だと思う。
Q:デューク・エリントンについて、どう答えるか?
JC:とても好きだ。
Q:セロニアス・モンクについて、どう考えるか?
JC:彼は偉大な音楽家だと思う。
~UCCI-9191/5ライナーノーツ
あるいは、オーネット・コールマンについて聞かれたとき、次のように答えている。
彼は偉大なリーダーだ。偉大なリーダーだということは、私にとってとても重要だ。
~同上ライナーノーツ
それぞれに対して表現は異なれど、コルトレーンの言葉には他意がない。実に無為自然。東洋思想にかぶれた天才の(その音楽とは裏腹に)シンプルな回答に感動する。
(それにしても当時のインタビューの、本質的とは言えない質問に辟易する)
何にせよジョン・コルトレーンにとって、他のアーティストは(聴衆すらも)眼中になかった。あくまで自分自身を明らかにするための素材としての音楽行為だったのだと僕には思える。
来日公演の1ヶ月半前のニューヨークはヴィレッジ・ヴァンガード。
・Coltrane:Live at the Village Vanguard Again!(1966.5.28Live)
Personnel
John Coltrane (soprano saxophone, tenor saxophone, bass clarinet, flute)
Pharoah Sanders (tenor saxophone, flute)
Alice Coltrane (piano)
Jimmy Garrison (bass)
Rashied Ali (drums)
Emanuel Rahim (percussion)
諸行無常の陰陽二気世界をコルトレーンは信念に沿って縦横無尽に進んだ。
“Naima”も”My Favorite Things”も強力なオーラを発する、孤高の世界の創発だが、どういうわけか聴き手も言葉にならないオーガズム(?)の世界に知らず知らずのうちに引き込まれてしまう。
主題の断片が奏されることで、辛うじてその曲だとわかるが、破壊と再創造を連発するコルトレーンの「フリー」は計算されたものでなく、自ずと生み出された、あくまで直観によるものだ。翌年、コルトレーンは亡くなるが、(もし彼が生きていたら)その後の展開はどうなったのだろうか、やはりその辺りがとても気になるところだ。