ニコラーエワのゴルトベルク変奏曲(デンマーク・ライブ1983)を聴いて思ふ

goldberg_nikolajeva_1983グレン・グールドのバッハの素晴らしさは、対位法を明確に意識した音楽作りと、演奏そのものの勢い、つまり躍動感、前進性にあるのだと思う。縦の線、すなわち空間軸と、横の線、すなわち時間軸とを完璧にコントロールし融合させる腕前にかけては天下一品。そのことは彼の実況録音を聴くことで一層はっきりと理解できる。この際、ライブ演奏上の瑕などはどうでも良い。音楽を発する者が時空を一つで捉え、それが会場と一体化することで奇跡を生み出すような、そんな魔法がグールドのパフォーマンスにはあったんだと思うのだ。そうなると当然、エネルギーを消費し、疲弊する。ちょうど同じ頃にビートルズがコンサート・ドロップアウトしたのも同じような理由かもしれない。とにかく生き急ぐかのように生命力を消費し続けた結果がスタジオに籠るという選択だったということだ。

タチアナ・ニコラーエワのこれまた「ゴルトベルク変奏曲」の実況録音を聴いて、グールドとは正反対の、ある意味正当なアプローチによるバッハに―個人的好みは明らかにグールドの方なのだけれど―心底感心した。しかし、一方で彼女のこの演奏を聴くことで、グールドの実演がいかに一期一会的なもので、しかも大変に優れたものであったのかを一層実感したというのも確か。同じ音楽が表面的にはこれほどにも異なった様相を示すことに驚きつつ、バッハの音楽の懐の深さを再び発見し、興味が尽きない。

J.S.バッハ:
・ゴルトベルク変奏曲BWV988
・アンコール~主よ、人の望みの喜びよ(カンタータBWV147より)
タチアナ・ニコラーエワ(ピアノ)(1983.4Live)

ピアニスト自身が意識していたかどうかはわからないが、ニコラーエワのすごさは、バッハの音楽の内側にある悲哀と歓喜を同質のものとして捉えた点だと僕は思っている。例えば、「ゴルトベルク変奏曲」において顕著なのは、短調である第25変奏曲と、第26変奏曲以降の本来ならば対比としてあるべきところがほとんど同じテンション、感情で弾き切られているところ。第30変奏クオドリベットに至っても決して解放されない。そう、悲しみを包み込んだまま歓喜を迎える。つまり、音楽のどの部分においても悲しみは存在し、同時に喜びにも溢れるということなんだ。そんな神業をやってのけたのは歴史上でも他にわずかな人しかいない。作曲家でいえばモーツァルトだったり、ベートーヴェンだったり、20世紀ではショスタコーヴィチだったり。ピアニストでは・・・、ニコラーエワ以外誰がいるのか?

そのことは終演後の聴衆の拍手喝采によって自ずと証明される。おそらくそこにいた人々(拍手の音からすると極めて少数の人たちだったはず)は途轍もない感動を覚えたろう。しかも、アンコールが「主よ、人の望みの喜びよ」。この小品の内側にも何と悲哀がこもることか。

 


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