
K.319の美しさを教えてもらった録音。
しかも、そのリハーサル風景となると、一層興味深く耳を凝らして聴きたくなる。
クリップス指揮ロイヤル・コンセルトヘボウ管のモーツァルトK.319(1973録音)を聴いて思ふ 力のこもった指示に、オーケストラは見事に感度良く反応する。
音楽の内側から湧き出す躍動は、ヨーゼフ・クリップスの真骨頂だ。
21歳のモーツァルトが繰り出す音楽には、すでに歌劇「魔笛」の音調が垣間見られ、典雅な交響曲の調べから、やはりすでにこの「神童」が完成形にあったことが理解できる。
・モーツァルト:交響曲第33番変ロ長調K.319—リハーサル
ヨーゼフ・クリップス指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団(1973.9録音)
イタリア風3楽章交響曲からウィーン風4楽章ものにするのに後に加えられた第3楽章メヌエットの自然体の美しさに痺れる。(クリップスはリズムを明確にすることをアピールするようだが、鼻歌を交えながらの渾身のリハーサルがとにかく感動的)
私はある芸術家と何回か会った経験があるが、彼の仕事が私の生活を豊かにし深めてくれたにもかかわらず、別れた後では必ずこう自問せずにはいられなかった—「あの輝かしくて繊細な仕事が、なぜこんな男から生まれるのだろうか?」と。けれどもベルイマンとの2時間は、ベルイマンの最高に創造的な作品のどれに感じるのと比べても劣らぬ充実した経験だった。事実、私は、彼自身の顔につけた仮面は、彼の最善の映画の中に少しずつ、本当に少しずつ入れているもので一杯なのだという感じにしばしば打たれたのである。この数日間現実のベルイマンと一緒にいたことは、ベルイマンの映画を経験することであった。それこそは、いつもわれわれが見たいと思い、いつも彼が作りたいと願っている、ベルインマン映画の全体像なのだ。
わたしも創造の瞬間にいあわせたことは何度もあるが、それは実に感情にあふれた経験なので、言葉では私には言いあらわせない。
(G.ウィリアム・ジョーンズ)
~ウィリアム・ジョーンズ編/三木宮彦訳「ベルイマンは語る」(青土社)P248-249
それはあくまでイングマール・ベルイマンにまつわるエピソードだが、すべての芸術家に当てはまるだろう真実のように僕には思える。ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトも、そしてヨーゼフ・クリップスも「なぜこんな男から?」と思われるような一面があったのではなかろうか? 芸術の創造とは、普遍的な作品を生み出す力とは、現実とは相いれない、不可思議なものだ。
