
指揮台上で足を踏み鳴らす音、そして激しい唸り声。
晩年のパブロ・カザルスが指揮する様子が記録されたモーツァルトはどれもが90歳前後の老人の音楽とは思えぬ激しい情感の奔流であり、涙が出るほど人間的で、感動的だ。
剛毅な精神とはなんなのか、またそれがうみだす音楽がいかなるものかを知りたくなったとき、ぼくは、くりかえしくりかえし、このディスクをきくにちがいない。なぜならここに、ぼくの知るかぎりでのもっとも剛毅な精神の持主であるカザルスを実感できるからだ。
(黒田恭一、1971年・記)
~SICC431-3ライナーノーツ
なるほど「剛毅な精神」とは言い得て妙。
生命力の塊のような音楽は、聴き手に途方もない希望を与えてくれる。まして90歳前後の老指揮者が渾身の力を振り絞って音楽をする様子は、僕たちに生きることの大切さまで教えてくれるのだ。(人は誰しも課題を抱えて生れてくる。どんな苦難からも逃げないことだ)
「語るための時間というものがある」。彼は非常に見事な技法で、その時間を守った!
「沈黙するための時間というものがある」。それは、(ヘンデルの)オラトリオ『メサイア』の最後の印象的な休止を思いおこさせる。ヘンデルは突然、すべてのパートを休止させ、その沈黙のなかに作品全体を集約させる。曲の最後をしめくくる前に、さらにあの世からやってくるすべてのものを曲のなかにとりこむ。そして最後に、「ハレルヤ!」と声高らかに叫ばせるのである。
エルネスト・クリステン『パブロ・カザルス』所収
~ジャン=ジャック・ブデュ著/細田晴子監修/遠藤ゆかり訳「パブロ・カザルス―奇跡の旋律」(創元社)P117
「語るための時間」と「沈黙するための時間」という対比。
それこそ音楽に「キレ」を生む大事な相対だろう。
そして、カザルスの音楽にはその「キレ」というものが如実だ。そこにこそ真の生命が刻まれるのだろうと思う。
カザルス指揮マールボロ音楽祭管のモーツァルト「プラハ」K.504(1968.7.14Live)を聴いて思ふ モーツァルト:
・交響曲第38番ニ長調K.504「プラハ」(1968.7.14Live)
・交響曲第39番変ホ長調K.543(1963.7.12Live)
パブロ・カザルス指揮マールボロ音楽祭管弦楽団
真夏のマールボロ音楽祭。
最晩年の「プラハ」交響曲がことのほか素晴らしい。
手に汗握る第1楽章アダージョ—アレグロ。
また、安寧の表情に癒される第2楽章アンダンテには、未来の平和獲得へのカザルスの願いがこもるよう。
1962年に、カザルスはこう宣言した。
「私がいなくなっても、プラード音楽祭はつづけなければならない。私がはじめたこの活動は、存続しなければならない。音楽は祈りのように人を高め、人びとを結びつける。この活動を終わらせてはならない。私のまわりにいた人びと、これからやってくる人びとが、つづけなければならない」
~同上書P94
そして、遅めのテンポで堂々と繰り出される終楽章プレストの(プレストではなかろう)、慈愛。聴衆の感動の拍手が心に染みる。
