
衝撃の1949年、ザルツブルク音楽祭での「魔笛」。
いわゆるピリオド解釈推奨派の皆様にはおそらく受け入れ難いであろう、浪漫色満載、思い入れたっぷりの近代的モーツァルト演奏は、序曲冒頭の和音からいかにもフルトヴェングラーだとわかる、フルトヴェングラー・フリークには堪らない唯一無二のもの。
アインザッツの見事なずれ、遅々としたテンポで、かつあまりに重い演奏は、眉をしかめる人もあろう。しかし、ここからすでに「魔法」が始まっているのだ。
作品解釈についての、1934年のフルトヴェングラーの論文が興味深い。
フルトヴェングラーはいわゆる楽譜忠実主義と自由な解釈主義とは表裏一体だという。しかし、それはもはや長続きしないものだともいう。
今や私たちのようやく理解しはじめた事柄であるが、一方「楽譜に忠実な演奏」、他方、かぎりない解釈の自由、あるいは「創造的・即時代的な」再現への要求という一見ひどく矛盾する二つの傾向は、相反を呈しつつ同じ時代に台頭しているが、これも決して偶然ではない。それどころか、両者はまさに宿命的な関連を有し、あたかも同じメダルの表裏をなし、両者ともに一つの源泉から発し原因を同じくしているように、思われる。
「作品解釈について」(1934)
~フルトヴェングラー/芦津丈夫訳「音と言葉」(白水社)P84-85
フルトヴェングラーは表裏一体というが、楽譜忠実主義には懐疑的であり、反対派であることを表明する。その理由はこうだ。
作曲家の状況を考えてみるならば、彼の出発点とは無であり、いわば混沌であり、彼の終点とは形成された作品である。ここにいたる道程、つまり比喩的に言うならば混沌の「形象化」は、彼にとって即興演奏の行為のうちに実現する。即興演奏とは事実あらゆる真の音楽演奏の根本形態なのである。のびやかに空間の内部へと振動しつつ、一度きりの真の出来事といて作品は生成する。作品とは、いわば心的事象の似姿だといえよう。この「心的事象」は一つの有機的・自発的なプロセスであり、これを意図すること、強要すること、また論理的な方法で案出したり算出したり、なんらかの仕方で構成したりすることは不可能である。
~同上書P85-86
なるほど、昔から音楽とは「即興」だったというのである(その意味でジャズ音楽やロック音楽のあり方の方がより音楽的だといえるかもしれない)。そして、演奏家にとって作品とはそもそも何であるのかとフルトヴェングラーは問いかけるのだ。
まず第一に、印刷された手本である。彼が依拠しうるもの、また依拠せねばならぬものとは、自己の魂の固有な生命ではなくして、他者がとっくに形成し終えた作品の、すみずみまですでに完成された個々の部分である。彼は作曲者のように前進するのではなくして、いわば後退を強いられ、創作者のように内から外に向かうのではなく、あらゆる生命の進路に逆らって、外から内へと歩まねばならぬ。彼の道程を特色づけるものは即興演奏、すなわち自然な成長ではなくして、出来上がった細部を同時に読みとり、新たに配列するという労苦に満ちた作業である。これらの細部は作曲家の場合には—すべての有機的な過程に見られるように—全体のヴィジョンに抵抗なしに従い、そこから自己の論理、固有の生命を獲得することができた。それに対して再現芸術家は、創作者を導いたこのような全体のヴィジョンを現存する細部から苦労して読みとり、それを復元せねばならぬ。ここに示される状況ならびに課題の相違のうちに、まさに演奏の問題がひそむのである。
~同上書P86-87
自身が指揮者ではなく、作曲家として認められたかったフルトヴェングラーの本意はこういうところにあったのかもしれない。しかし、フルトヴェングラーは自身も偉大な再現芸術家であった。その「偉大さ」の事由は、次のように言及される。
ところで、個々の部分以外にはなにひとつ明確に与えられていない解釈者は、彼なりに全体に到達するためには事態にかに対処すべきであるかという問いが生じる。彼はまずそれらの部分を可能なかぎり、またそれにふさわしいと思われる仕方で組み合わせることを試み、ついでそれらを多かれ少なかれ趣向をこらして、あたかも花びんの草花を整えるように配列することを試みるであろう。しかしながら、器用な演出家のこのような「配列」と、芸術家、創作者の手になる有機体の必然的・論理的な形成との間には相違が認められる。いかに見事に組み合わされていても、このような仕方で生まれたものは常に既存の、完全に仕上がった部分からの合成物にすぎず、いまだかつて巨匠の真の作品、あらゆる部分の、いわば即興風に必然的な連関をともなう生きた経過となりえたことはない。製作行為、すなわち作品の再創造における本来の出来事を、およそジークフリートの剣の鍛え直しの伝説を取りあげたヴァーグナーほど本質的に、あざやかに表現した人はいない。いかに巧みな鍛冶工によろうとも、切片の溶接だけでは二つに割れたものを元通りに結合することはできない。全体を粉砕して泥上のものにし、比喩的に言うならば、これによって原初の状態、いわば創造に先立つ混沌を呼びもどす、ここにはじめて全体の新しい形成が可能となり、作品は原初の姿に復元され、真の意味で新たに創造されるのである。
~同上書P88-89
フルトヴェングラーの再現方法はかくの原理の許にあったことが理解できることで、彼の遺した数多の録音の意味と意義が一層腑に落ちる。
1949年の「魔笛」はほとんど即興のような態を魅せるのは、再現芸術家としてのフルトヴェングラーの真骨頂だ。
ところで、フルトヴェングラーは、戦争による混乱と、まさに原初に戻されたような混沌とした世界にあって、戦後、指揮台復帰後、ザルツブルクに大きなチャンスを見出したといわれる。1949年のプログラム記事に彼は次のように記している。
ザルツブルク音楽祭は、ルツェルン、エディンバラ、ヴェニスなどの音楽祭とは性質を異にしている。ラインハルトその他の人々がこれに関与しているとはいえ、ザルツブルク音楽祭は個々の人間から成り立っているのではない。もっと重要なものは、個々の人間の背後にある精神、すなわち個人の功名心などはまったく問題とせず、音楽祭をして特定の芸術精神の発露としている精神である。また人々は、特定の風土からは特定の影響力が生まれるなどとも言う。人々はオーストリア気質について語り、モーツァルトについて語る。もちろんそのいずれもがもっともなことであろう。しかし、うぬぼれた自己観察のうちに自らを語り、自分を「取り引き」の対象物として世界に宣伝し、自意識過剰となったオーストリア気質は、すでにその最もすぐれた側面をなくしてしまっている。飾り人形、風俗、ポスターとして現われるモーツァルトなどは、もはや真の守護神とは言えない。たんなるオーストリア気質よりも深いなにものかが存在している。だからモーツァルトの作品にザルツブルク音楽祭の本来の姿、あるべき姿を反映させるためには、モーツァルトをその全存在において捉えねばならぬ。土地に根ざし、その土地固有のものとなった芸術感情ならびに生命感情、その基盤の上にザルツブルク音楽祭は成立するのである。モーツァルトの名において自己のたぐいない複合性と混合性とをみごとに特色づけられる、あのオーストリア的・ドイツ的な文化環境が、自らはそれを意識することなしに、この音楽祭のなかにまぎれもなく自己の表現を見出したのである。ザルツブルク音楽祭は世界に語るべきなにものかを持っている。なぜならこの音楽祭は、自己の背景をなすこの土地をさしおいては、事実、世界の他のどこにおいてもこれほど人間の全生命と結びつき、真剣に受けとられ、生気あるものとはなりえない—もちろん音楽上の—事物を対象としているからである。
「ザルツブルク音楽祭」(1949)
~ヴィルヘルム・フルトヴェングラー/芦津丈夫訳「音楽ノート」(白水社)P153-154
その上で、「生命の真髄」として人々に理解、受容されるのが人類救済の物語である「フィデリオ」であり、「魔笛」でなければならないのだとフルトヴェングラーは締める。
1949年の「魔笛」のすごさは、彼の文章からもひしひしと伝わるのだ。
ならば、音楽を聴こう。そのときの実況録音を耳にしよう。
一期一会の、即興的なモーツァルトがここにはある。
フルトヴェングラー指揮ウィーン・フィルのベートーヴェン「フィデリオ」(1948.8.3Live)を聴いて思ふ 集中力が途切れることなく、第2幕フィナーレにたどり着いた瞬間、深い感動がこみ上げる。音は決して良くないが、そんなことは忘れてしまうほど音楽的であり、深い。
まるでその日、フェルゼンライトシューレの座席に座って観劇しているかのような錯覚さえ覚えるのだ。
フルトヴェングラーのモーツァルトへの傾倒は、世間の、モーツァルトがかつてないほど絶対的なものとして崇敬する精神と共鳴した。モーツァルトがこのときほど重要だと思われたことはかつてなかった。モーツァルトの音楽の絶対性を通して、多くの人々は、とりわけ「千年王国」の混沌の中で喪失してしまっていた人間性への信仰を取り戻したのだ。
(ゴットフリート・クラウス)
世界を真に再生する鍵がここにある。
フルトヴェングラーの「魔笛」(1949) 