私だけがこの野蛮な客寄せ道化の鍵を握っている。
(アルチュール・ランボー詩/中地義和訳)
第8曲「客寄せ道化」で繰り返される第1曲「ファンファーレ」からオーケストラは踊った。そして、ボストリッジは妖艶に囁いた。
どの瞬間も本当に素晴らしかった。20世紀の、綺羅星の如くの天才たち。
それぞれがまったく違った感性を持ち、それぞれが革新的かつ個性的な方法で音楽を創造したんだとあらためて知った。
これらの作品を理解するには、何はともあれ実演に触れねばならぬ。
何年か前に「アルプス交響曲」を聴いたときにも思ったが、大野和士という人は、音による情景や心理描写が実に巧みだ。
ベンジャミン・ブリテンの純粋さ、また清らかさ。
彼が大自然を描く際に垣間見える土着性と開放性にはとても魅力がある。単なる自然描写に陥らず、ピーター・グライムズの内奥の心魂までをも抉り出すような音楽。そしてそれがまた極めて洗練された音で表現されるのだ。
言葉を持たない「4つの海の間奏曲」における、静けさに満ちる虚ろな瞬間と轟音沸騰する現実的な瞬間の見事な対比。第1曲「夜明け」から泣きたくなるほど美しかった。もちろん、第3曲「月光」における癒しのシンコペーションも。あるいは、第4曲「嵐」の壮絶で圧倒的な響きにも感化された。
そして、イアン・ボストリッジを独唱に迎えての、言葉を持った「イリュミナシオン」における弦楽伴奏の柔らかさ、清澄さ。まさにランボーの詩と相通ずるどこかおどけたブリテンの音楽は、英国人らしい生真面目さと高尚さに彩られ、聴く者を夢の世界に誘ってくれた。相変わらずボストリッジは声が良い、そして歌が上手い。
東京都交響楽団第809回定期演奏会Aシリーズ
2016年6月8日(水)19時開演
東京文化会館
イアン・ボストリッジ(テノール)
四方恭子(コンサートマスター)
大野和士指揮東京都交響楽団
・ブリテン:歌劇「ピーター・グライムズ」~4つの海の間奏曲作品33a
・ブリテン:イリュミナシオン作品18
休憩
・ドビュッシー:「夜想曲」より「雲」、「祭」
・スクリャービン:交響曲第4番作品54「法悦の詩」
前半のブリテンの色香と後半のドビュッシー、スクリャービンの色気の質は明らかに異なる(ブリテンが男色だったからかどうなのかわからないが)。どちらかというと四角四面的な堅牢さのあるブリテンの、愛情のあまりに直接的な表現と、柔軟で、どちらかというと遠回しに(つまりゲーム的に)愛を語ろうとするドビュッシーとスクリャービンの間接的な表現とでも言おうか。
その違いを肌で直接感じられるところが素晴らしい。見事なプログラミングだ。
ドビュッシーの「夜想曲」からの2曲はとてもきれいで温かかった。
しかし今夜の白眉は、間違いなくスクリャービン。ドン引いた。
「法悦の詩」は、そのタイトル通り、エクスタシーが引いては押しよせ、押しよせては引くがごとくの音波攻撃で、心底から揺さぶられた。
何よりエネルギー、すなわち精力を一気に放出するのでなく、溜めて、溜めて、溜めて、大爆発するクライマックスの様子に僕は感激した。これこそロシア的表現の極致!!それにしても、ほとんど焦らしのセックスの如し。
今夜の都響は熱かった。
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改めて、宗教とセックスは根源が同じじゃないかと思いました。
ブルックナーの第8交響曲だって、聴きようによってはセックスの音楽そのものですしね。
それに、「愛」とか「信じる」って言葉を、どちらも好んで多用しますよね(笑)。
>雅之様
>宗教とセックスは根源が同じじゃないかと思いました。
確かに!ですね。
しかし、ブル8がセックスの音楽には聴こえないのですが!
何しろブルックナーはそんな上手なように思えませんから・・・。(笑)
>ブル8がセックスの音楽には聴こえないのですが!
私の学オケ時代の変態悪友たちは、ブル8第4楽章冒頭を表現したい時に、
みんな(私も含め)、「ズコン・ズコン・ズコン・ズコン・・・・・・」
と、親しみを込めて歌っていましたが・・・(笑)。
>雅之様
なるほど!そこですか!!(笑)
少し納得しました・・・。