ボザール・トリオのラフマニノフ「悲しみの三重奏曲」を聴いて思ふ

rachmaninov_trio_elegiaque_beaux_arts_trioセルゲイ・ラフマニノフを聴いて大自然を想う。
ロシアの広大な大地を目の当たりにし、その地に住む人々が喜び踊り、哀しみ臥せる。どんなに明朗であろうとロシア音楽はどこか寂しい。天と地の意と人間の感情が織り成す音の物語。こんなに悲しく重い音楽があるものなんだ・・・。さすがにラフマニノフだけあり、ピアノが圧倒的な存在感を示し、2つの弦楽器を縦横に牽引する。

激しい雨が降った。

当時新進気鋭の作曲家として名が売れ始めたラフマニノフは、歌劇「アレコ」の成功について後にこう回想する。

成功は、歌劇そのものの出来具合と言うよりは、これを気に入ってくれたチャイコフスキーの態度によるところが大きかったと考えている。ついでに言えば、チャイコフスキーは、リハーサルに来たとき、わたしに向かい「ちょうど『イオランタ』という二幕の歌劇を仕上げたところなんだが、一晩の上演には少し短いものだ。その上演を君の歌劇といっしょに行うというのはどうかねと言ってくれた。この時のチャイコフスキーの言葉ははっきり覚えている、「君のほうに異存はなかろうね」と誘ってくれたのだ。相手は52歳の高名な作曲家であったが、わたしのほうはいまだ20歳の新参者であった。
藤野幸雄著「モスクワの憂鬱スクリャービンとラフマニノフP132

チャイコフスキーのお墨付きによって自分は世に認められたのだと明言しているということ。その直後の巨匠の急逝を知った時のラフマニノフの落胆はいかばかりであったろう・・・。その死に触発され、チャイコフスキーのために書いた、まさに哀しみが刷り込まれた慟哭の三重奏曲は、チャイコフスキーが盟友ニコライ・ルビンシテインの死にインスパイアされ創出した「偉大なる芸術家の思い出」とほぼ同じフォルムとイディオムを踏襲する。

ラフマニノフ:
・悲しみの三重奏曲第1番ト短調
・悲しみの三重奏曲第2番ニ短調作品9
ボザール・トリオ
メナヘム・プレスラー(ピアノ)
イシドーア・コーエン(ヴァイオリン)
バーナード・グリーンハウス(チェロ)(1986.5.18-26録音)

作品番号の与えられていない、作曲者19歳時の単一楽章による三重奏曲は旋律の美しさが際立つ。何という早熟・・・。プレスラーのピアノとグリーンハウスのチェロが重なり、コーエンのヴァイオリンが泣き、混然一体となることで作曲家の深層に在る負の感情がここぞとばかりに爆発する。それも暗澹たる爆発だ。やっぱり鍵になるのはピアノ。プレスラーの超絶技巧の安定感と全体俯瞰。見事だ。

この作品がどういう意図で、しかもどうして「悲しみの」というタイトルが付されているのか詳しくわからないそうだ。特別何か契機となる事件があったのではなくおそらくメランコリック気質のラフマニノフの本領発揮と言うところだろうか。

ちなみに、第2番はひたすら悲しい。沈潜する旋律と重いリズムに支配されるこの音楽は間違いなくレクイエム。すごいのは、音楽が高揚するシーンにて師以上の興奮を覚える点。ここでもプレスラーは光る。


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