コッソット ベルゴンツィ グェルフィ カラヤン指揮ミラノ・スカラ座管&合唱団 マスカーニ 歌劇「カヴァレリア・ルスティカーナ」(1965.9&10録音)

「田舎の騎士道」。
不倫という事態から生じた決闘、からの悲劇的結末。
「ヴェリズモ」と呼ばれた、日常を題材としたオペラは、現代のワイドショーのような立ち位置だったのだろうか。

マリア・カラスのマスカーニ歌劇「カヴァレリア・ルスティカーナ」(1953.6&8録音)を聴いて思ふ マリア・カラスのマスカーニ歌劇「カヴァレリア・ルスティカーナ」(1953.6&8録音)を聴いて思ふ チューリヒ歌劇場2009「カヴァレリア・ルスティカーナ」を観て思ふ チューリヒ歌劇場2009「カヴァレリア・ルスティカーナ」を観て思ふ

安穏とした、平和な風景の中で繰り広げられる生々しい、因縁による人間模様と悲劇。
悪因悪果。特に夫婦の関係は「恩・仇・敵」といわれるが、中で8割は仇か敵らしい。

前奏曲の中、舞台裏からトゥリッドゥの歌声が聴こえる。
静けさと激しさが交錯する音楽は、文字通り後天西洋二元的世界を忠実に再現する人間ドラマだ。

・マスカーニ:歌劇「カヴァレリア・ルスティカーナ」
フィオレンツァ・コッソット(サントゥッツァ、メゾソプラノ)
カルロ・ベルゴンツィ(トゥリッドゥ、テノール)
マリアグラツィア・アレグリ(ルチア、アルト)
ジャンジャコモ・グェルフィ(アルフィオ、バリトン)
アドリアーネ・マルティーノ(ローラ、メゾソプラノ)
ロベルト・ベナーリオ(合唱指揮)
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ミラノ・スカラ座合唱団&管弦楽団(1965.9&10録音)

全編通じて非の打ちどころのない、管弦楽の咆哮と安寧。
ドラマが「恩・仇・敵」という業の発露であることを、文字通り「音で綴る」全盛期のカラヤンの魔法。スカラ座管弦楽団の白熱と甘美さの両立は前奏曲を聴けば一聴わかる。

サントゥッツァの告白 ロマンツァ「ママも知るとおり」
二重唱「サントゥッツァ、ここにいたのか」(トゥリッドゥ、サントゥッツァ)

マスカーニによる官能の音楽は、カラヤンの棒によって磨かれ、より一層官能を獲得する。
今日一日、何度も繰り返し浸った。こんなに美しい音楽があるのかと。「ヴェリズモ」という、現実主義を標榜する音楽だけにすべてがリアルに響く。作り物(レコード芸術)を超えた、生命力が漲る音楽は、トゥリッドの「母さん、この酒は強いね」からの最後のシーンで絶頂を迎える。

間奏曲
トゥリッドゥのアリア「母さん、この酒は強いね」(トゥリッドゥ、ルチア、サントゥッツァ)

自らが犯した不倫の重大性に動転したトゥリッドゥは「マンマ!」と叫んで〈オス〉から〈子供〉になっているのである。そのような〈幼児性〉の持つ甘さを前半部分で表現し、半ばやけくそ気味に飛び出していく部分での激情性のコントラストが、このアリアの魅力を不滅のものとしている。
(酒井章)
「スタンダード・オペラ鑑賞ブック1 イタリア・オペラ(上)」(音楽之友社)P96

カラヤンの仕事も、ここが肝だ。ベルゴンツィ、アレグリ、コッソットそれぞれの名唱が心に残る。

騎士たる者は勇敢で、忠誠心があり、慈悲の心をもつべきだと考えられていた。
マーティン・J・ドハティ/伊藤はるみ訳「図説アーサー王と円卓の騎士―その歴史と伝説」(原書房)P47

日本の「武士道」と西洋の「騎士道」は異なるといわれるが、分解していけばそこには神仏への尊崇があり、すべてが繋がりの中にあることを前提としていることは間違いない。
しかし、時代の流れとともに形ばかりが先行していく。

一口に騎士道的恋愛といっても、時代や場所によってさまざまな違いがある。たんなる見せかけで騎士がひとりの女性に仰々しく愛の告白をし、場合によっては忠誠の証として彼女からあたえられた品物を身に着けるようなこともある。ほんとうの恋愛感情はあるかもしれないし、ないかもしれない。手のとどかない女性との恋愛もあるし、高貴な女性へ忠誠のしるしとして愛を告白することもある。女性が既婚かどうかは問題にならない。多くの場合、騎士道的恋愛は肉体的あるいは精神的な魅力とは無関係なのだ。
しかしときには、騎士道的恋愛がほんとうの愛情の表現になることもある。まったく愛情がなくても決められた相手と結婚するしかなかった時代に、騎士道的恋愛の形をとれば陰口をきかれることも後ろめたい思いをすることもなく、大っぴらに愛を語ることができたのだ。騎士道的恋愛なら不倫も許されたし、肉体的な関係をもつカップルもないわけではなかった。こうした恋愛が、どの程度まで年代記作家や物語作者の作り話だったかはわからない。

~同上書P48-49

おそらく「すべが繋がりのなかにある」という信念が曲解されて「不倫もあり」、そしてそこには「決闘あり」という血腥いまでの状況に陥ってしまったのだろうと思う。
本来、騎士道的恋愛とは、プラトニックなものであり、女性への献身と崇拝を拠り所にする高潔な愛の形なのだから。

カツァリス モーツァルティアーナ モーツァルト リスト編曲 アヴェ・ヴェルム・コルプスK.618ほか(1992.2.5録音)

ところで、かつて20世紀初めにデントはオペラの演奏会形式を、最もまずいやり方としたが、現代は演奏会形式での上演がとても多い。7年前に聴いたラザレフ指揮日本フィルによる「カヴァレリア・ルスティカーナ」も演奏会形式だったが、とても素晴らしかった。
(個人的には未来的な、あまりに奇を衒った演出が多い昨今のオペラ上演そのものに辟易するので演奏会形式の方が想像力を膨らませることができ、余程良いと思う)

ラザレフ指揮日本フィルハーモニー交響楽団第710回東京定期演奏会

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