オアシス

schumann_4_furtwangler.jpg暑い、とにかく暑い。
今日は第6回目の「sofaベジタリアン料理教室」。スタートしてかれこれ半年が経過することになる。今日も11名もの方々にお集まりいただき(中にはmixiのコミュニティを通じていらっしゃる方、友人からの紹介ということで初参加される方、あるいは奥様のご紹介という方など、様々な新たな出逢いが錯綜して面白い)、少なくとも世の中には「菜食」というものに興味をお持ちの方々がこんなにもいるものなんだとあらためて感じさせられた。
ところで、昨日と今日、意識して酒を抜いている。普段から大酒のみではないし、どうしてもなくてはいられないという体質でもないから大した問題ではないのだが、大人になってから(つまり社会人になってから)付き合いなどでどうしても飲まなければならない状況が続き、結果いつの頃からか俄然ビールが好きになり、それ以来なかなか飲まない日がなかったものだから自分にとってはとても珍現象のように思われるのである(笑)。
普通なら今日のような猛暑日には冷たいビールを身体に流し込むのは最高なのだが、ともかく今夜も飲まなかった。

ここ数日、時間を見つけては「脳」や「こころ」についての勉強をしている。これまで体感的に得てきたことをもう少し理論的に深掘りしておこうと考えたからなのだが、そうはいっても付け焼刃的にインプットしたところでどうしようもないので、地道にじっくりと駒を進めていくことだな、と幾つか雑誌や書籍を読みながら再確認しているところである。
今このブログを読まれている方の中で「脳のしくみ(それも脳科学的なものではなく、心理学的な見地のもの、EQやIQについて言及している類の本)」や「心の問題」を扱った良本をご存知の方はぜひ教えてください。

フルトヴェングラーがベルリン・フィルを振って晩年にグラモフォンにスタジオ録音したいくつかの名演奏。決して冷静さを失わない中に、他の誰もが及ばない「感情のうねりと精神の高揚感」が充溢したフルトヴェングラー芸術の最高の姿が刻まれている。彼の演奏は実演を聴いてこそのものであることは間違いないが、残念ながら今となっては叶わぬ夢(本当に20世紀の前半にヨーロッパの一部の地域で生演奏を聴けた人々ほど幸運な人たちはいないだろう)。そういう意味では、彼が没してから生まれた我々にはそもそものハンデがあるのだが、これらのいくつかの名録音が「心の渇き」を(たとえバーチャル的であったとしても)癒してくれるのだから感謝するとしよう。

シューマン:交響曲第4番ニ短調作品120
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

1981年だったか、受験の折の上京の際、秋葉原の石丸電気で「フルトヴェングラーの遺産(グラモフォン)」という10枚組の輸入盤LPセットを手に入れた。当時の僕からしてみればありえない大枚叩いての高価な買い物。ドキドキしながら初めて針を落としたレコードがこのシューマンの第4交響曲。泣きたくなるくらい感動した。30年近くを経た今聴いても心が震える。何だろう?この妙な感覚は・・・。精神分裂気味のシューマンの作品に対して・・・、フルトヴェングラーによる感性と理性のバランス(EQとIQのバランスか?)が絶妙にとれた再創造・・・。とにかくうまい言葉がみつからない・・・。

カップリングされている「マンフレッド」序曲作品115がこれまた素晴らしい!

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1 COMMENT

アレグロ・コン・ブリオ~第5章 » Blog Archive » すべて偉大なものは単純である

[…] シューマンはグラモフォンの例のスタジオ録音盤と解釈はほぼ同じ。でも、さすがに実演のフルトヴェングラーは違う。そこに聴衆がいるだけで彼の音楽は一気に変化する。音楽は特定の者に対する「交歓の儀式」だ。少なくとも同じ会場に在る人々を意識してこそフルトヴェングラーは一層の能力を発揮した。「見えない」人々を対象にしての「音の缶詰」とは違うのだ。ゆえに、同じような解釈であろうと、「何か」が違う。終楽章コーダに向かっての一貫した推進力、勢い・・・、何と表現すれば良いのかわからないけれど。 […]

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