カツァリスのショパン 24の前奏曲作品28ほか(1992.10録音)を聴いて思ふ

モーリス・ベジャールが、ジョルジュ・ドンに捧げた自伝的幻想小説「舞踊の中のもう一つの唄」の扉頁に掲載されたノヴァリスの言葉が美しい。

われわれは器官とその機能が貧弱なために、妖精の世界を感知することができない。あらゆる物語は、到るところにありしかもどこにもないこの故郷の夢でしかない。
あるモラル、ある法的脈絡以外、何ものも物語と対立するものはない。
物語には、真の自然なアナーキーが君臨する。抽象世界—夢の世界・・・
物語は完全に音楽的である。
モーリス・ベジャール/前田允訳「舞踊のもう一つの唄」(新書館)

音楽は物語であり、舞踊である。
自ずと身体が動く、そういう音楽は、人の魂まで鼓舞するのだと思う。
シプリアン・カツァリスの弾くショパンの前奏曲集を聴いた。素晴らしいのは、前奏曲以上に、余白に収録された、エコセーズ、ボレロ、コントルダンス、またギャロップなど、知られざる珍品たち。

1分にも満たない遺作の前奏曲の激情。また、遺作となった歌曲集から第2曲「春」の作曲者自身によるピアノ独奏版の悲しみ。アレグレット&マズルカの移ろいの妙。表立って演奏されることが少ないことが不思議なほどの旋律の宝庫。そして、少年時のショパンが書いたエコセーズの明朗快活さに、当時の彼の希望と抱負を垣間見るよう(ユリアン・フォンタナによる校訂版と自筆譜版の両方が収められている点がマニアックで素晴らしい)。

ショパン:
・24の前奏曲作品28(1839)
・前奏曲嬰ハ短調作品45(1841)
・前奏曲変イ長調(遺作)(1834)
・歌曲集「ポーランドの歌」~「春」ト短調作品72-2(ピアノ独奏版)(1838)
・アレグレット嬰ヘ長調&マズルカニ短調
・2つのブーレ(第1番ト長調、第2番イ長調)
・3つのエコセーズ作品72-3(ユリアン・フォンタナ版)(1826)
・3つのエコセーズ WN.27(オリジナル版)(1826)
・ボレロハ長調作品19(1833)
・コントルダンス変ト長調(1827?)
・ギャロップ・マルキ変イ長調(遺作)(1846)
・「アルバムの一葉」ホ長調(遺作)
・アレグレット嬰ヘ長調
・カンタービレ変ロ長調(遺作)(1834)
・ラルゴ 変ホ長調(遺作)(1837?)
・フーガイ短調(遺作)(1842)
シプリアン・カツァリス(ピアノ)(1992.10.21-25録音)

10代の作品であるコントルダンスの躍動の切なさ。ショパンの音楽にいつもあるワルシャワへの愛が間違いなくここにもある。マズルカ変ロ長調作品7-1を髣髴とさせるアレグレットは、短いながらいかにもショパンの作品らしい。そして、1837年の作とされるラルゴの荘厳な美しさ。遺作のフーガ(1842)は、哲学的重みを持つ。なるほど、ショパンの作品は、それが有名なものであろうとなかろうと、常にショパンの音がする。

ところで、ベジャールの自伝的幻想小説の扉には、もう一つエマニュエル・カントの言葉が掲げられる。

他の世界は他の場所ではない。ただ単に他の直観なのだ。他の世界の直観的認識は、現在世界のために必要とする理解力(悟性)をある程度放棄することによってのみ達せられるのである。

悟りとは、一旦会得したものを捨て去れるかどうかにあるのだと思う。
ちなみに、山田耕筰に、彼がドイツ留学中に言語をマスターする際に体験したことから考えた興味深い言葉がある。

音楽理論を知らずに作曲していると、割合に面白いものが書けるのだが、いざ、正式に理論に通じて見ると、全く手も足も出なくなるのと同じ事だ。知る事は絶対に必要だ。が、知ったら、綺麗さっぱりと忘れる事だ。文法に拘泥していては一句も言えない。楽理に縛られていては一楽節もものにならない。しかし、覚えるという事は、割りに容易だが、一旦、覚えた事を忘れるという事は、実は、最も困難な事だ。そんな事もその頃はじめて知った。
そういう意味から、作曲者にとって指揮は危険だ。振って見なければ管弦楽の実態は把めない。それはたしかだ。しかし、振り過ぎると、他人の影響に溺れて、創造性を失ってしまう。知らないのでは困る。が、知り過ぎても困る。創作家に必要な事は、うんと知って、うんと忘れてしまう事だ。
山田耕筰「自伝 若き日の狂詩曲」(中央公論新社)P181-182

おそらくこれは、カントの箴言と意味を同じくしているだろう。
知識を捨て去ることは難しい。

ハーブ・アルパートの言葉を思った。

わたしはクラシック音楽から始めたから、インスピレーションを得るためにベートーベンなどを聴く。それからプログレッシブジャズが好きだ。マイルス・デイヴィスはもちろんのこと、コルトレーンとかね。
アートにはわたしの好奇心をそそる何かがある。素晴らしい絵画、彫刻、曲を特定するのは難しい。言葉に表せるようなレヴェルじゃないんだ。感じるか、感じないかのいずれか。それを分析しようとしたり、知性でとらえようとすると、その意味は分からない。だからこそいつも好奇心をそそられる。ラジオで聴いた曲が好きだとして、それが何で好きなのかは分からない。ただ、好きなんだ。マイルス・デイヴスが大好きなんだけど、彼の何が好きなのかが特定できないところを愛してるんだよ。彼は偉大なミュージシャンだ。だから何だっていうんだ?アートには偉大なるミステリーが潜んでいて、わたしはそこに一番興味を引かれるんじゃないかな。ポップミュージックはあまり聴かないね。敢えて距離を置いている。人の音楽をコピーしたくない。オリジナルになりたいんだ。
Blue Note TOKYO「公演直前インタビュー、ハーブ・アルパート」

ショパンの音楽は、間違いなくオリジナルだ。
そして、ハーブ・アルパートの音楽も同様に色褪せない。

・Herb Alpert’s Tijuana Brass:Whipped Cream & Other Delights (1965)

言わずと知れた名曲”Bitter Sweet Samba”や”A Taste Of Honey”、”Whipped Cream”などを収録した名作。何度聴いても痺れる。
確かにアートには偉大なミステリーが潜む。

 

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