
これも賛否両論だろうが、いかにもジョン・カルショーらしい仕掛けが施された名盤。
そもそもカラヤン自身がコンテンツの承認をしているのだから問題ない。アナログ時代は、「ガラ」付のものとそうでないものとがリリースされ、聴き手に選択を任せる仕様になっていた。
あり得ない豪華な、錚々たる歌手陣が揃った「ガラ」に、古き良き時代の「レコード芸術」の粋を思う。
就任したばかりのマキューエンが、最初に発売する盤を何か特別な魅力を持ったものにしたいと考えたのは、当然のことである。私たちが近い将来に、カラヤンとヨハン・シュトラウスの喜歌劇《こうもり》を録音するつもりでいることを知った彼は、第2幕にガラ(お祭り)を加えたらどうかと提案した。メトロポリタン歌劇場での新年の公演で、途中に挿入されるようなものである。
どういうものかというと、可能なかぎりたくさんのスター歌手を集めて、パーティーならではの意外な出し物をやってもらうのだ。デッカとRCAで起用可能な歌手となれば、そのリストはすごいものになる。レオンティン・プライスに《ポーギーとベス》の〈サマータイム〉を歌ってもらい、ユッシ・ビョルリンクには《ほほえみの国》の〈君はわが心のすべて〉を、そしてレナータ・テバルディには、こちらもレハールの《メリー・ウィドウ》の〈ヴィリアの歌〉を歌ってもらおうなどと、私たちは考えた。さらにアイディアはふくらみ、フェルナンド・コレーナ、テレサ・ベルガンサ、ジョーン・サザランド、マリオ・デル・モナコ、ビルギット・ニルソン(彼女は『マイ・フェア・レディ』の〈踊りあかそう〉を歌った)を参加させ、ジュリエッタ・シミオナートとエットレ・バスティアニーニの『アニーよ銃をとれ』の〈あんたにゃ負けない〉を、フィナーレにする。最後にひらめいたのは、若くして引退したリューバ・ヴェリッチュに〈ウィーン、ウィーン、お前だけが〉を、一節だけ歌ってもらうことだった。無人のホールで、もうほとんど声を失っていたが、彼女は歌った。
しかしすぐに気がついた問題は、レコードに指揮者として名前を出すカラヤンが、どう反応するかだった。こんな綺羅星のごときスターを一堂に集めることは、もちろん不可能である。ガラに使われる録音は、歌手の希望とデッカのスタッフの都合とが合ったときに、大陸のあちこちで、ただちに寄せ集めのオーケストラを使って録音するしかない。そしてそれらの素材をすべてウィーンに集めて、適当なパーティーの雑音を背景に加え、オルロフスキー伯爵役のリジャイナ・レズニクが「紹介する」ようにするのだ。
カラヤンはこのアイディアを気に入った。あるいは少なくとも、反対はしなかった。ありがたいことに彼はシュトラウスの作品を神聖視しなかった。そしてウィーンでも、ガラに似た先例があったのである。
~ジョン・カルショー著/山崎浩太郎訳「レコードはまっすぐに―あるプロデューサーの回想」(学研)P325-326
こういう裏話は実に興味深い。「レコード芸術」という名の通り、制作側の苦心とアイディアの宝庫は、「聴く」楽しみの一つだ。要は、時間とお金をかけ、あの頃は、こうやって「芸術」が生まれて行った。
それにしても、カラヤンにしてみれば、音楽的な統一感より売れるかどうかの豪華さが重要だったのだろうと想像する。実際に、音楽的な流れという観点では、そういうものだとして認識して聴けば、違和感ない。まして、録音から66年を経過する現在の視点からすると、この継ぎ接ぎこそが(ある意味)芸術的(?)で面白いのだ。
それに、ローカルからインターナショナルへと舵を切る、カラヤンらしい「洗練さ」は、「こうもり」の芸術的価値を一段も二段も上げたように思われる。
・ヨハン・シュトラウスII世:喜歌劇「こうもり」
ヒルデ・ギューデン(ロザリンデ、ソプラノ)
ヴァルデマール・クメント(アイゼンシュタイン、テノール)
エーベルハルト・ヴェヒター(フランク、バリトン)
ヴァルター・ベリー(ファルケ、バス)
ジュゼッペ・ザンピエーリ(アルフレード、テノール)
エリカ・ケート(アデーレ、ソプラノ)
ペーター・クライン(ブリント、テノール)
エーリヒ・クンツ(フロッシュ、バリトン)
レジーナ・レズニク(オルロフスキー公、メゾソプラノ)
ウィーン国立歌劇場合唱団
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(1960.6録音)
例によって、カルショーによる、効果音などを採り入れたガラ・パフォーマンスは、当時の第一線の歌手たちによるポピュラー・ソングが聴きもの。これこそ、作られた仮想のシーンだが、個人的にはニルソンによる「マイ・フェア・レディ」、あるいは、プライスの「サマータイム」など、ポピュラーな名曲が採り上げられているのが嬉しい(デル・モナコによる「パッショーネ」も、そしてまたベルガンサによる元夫であるラヴィラが作曲した「子守唄」も)。
