
人生たるもの山あり谷あり。
諸行無常の中、いつも順風満帆とはいかず。
不世出のソプラノであったマリア・カラスも随分苦しんだという。
『ノルマ』の公演はまた、彼女が—ときおり声に問題が生じるとはいえ—復帰の途上にあることを物語っていた。副鼻腔炎の重い症状は峠を越え、彼女は前よりも健康そうに見えた。それは、『ノルマ』の公演が終わってすぐ『カルメン』全曲をレコーディングしたことからもうかがえた。カルメンの役は、ほとんどが歌いやすい中音域におさまっていて高音部がほとんどなく、カラスは、以前のテクニックを駆使してベストに近い歌唱を披露した。『カルメン』のレコードがリリースされると、彼女のきわめて個性的な役づくりは—なかなか適材適所とはいかない役なのだが—熱狂的に受け入れられた。このレコードは舞台での上演への第一歩になるのではないか。そんなふうに思われたが、残念ながらそうではなかった。彼女にはそのような予定はなかったのである。
~ステリオス・ガラトプーロス著/高橋早苗訳「マリア・カラス―聖なる怪物」(白水社)P423-424
唯一残されたカラスがタイトルロールを謳う「カルメン」の録音が素晴らしい。
これを聴くと、どうして彼女が舞台に立たなかったのか不思議でならない。
しかしながら、人気絶頂時から求められるがままに動いた結果として、心身に不調を訴えたことから想像するに、いろいろな意味でカラスには無理があったのだと思う。
マリア・カラスは、幼年期を次のように回想する。
いまとなっては、私は文句をいえるような立場にはありません。それは当然のことです。でも、あまりにも早いうちから子どもに重荷を負わせるのはどうかと思います。神童はみな本当の意味での幼年時代を奪われています。私の記憶にあるのは特別な玩具—人形やお気に入りのゲーム—ではなく、学年末の舞台で脚光を浴びるために、ときにはくたくたになるまで何度も練習させられた歌なんです。どんな理由があろうと、子どもから若さを奪うべきではありません—そんなことをすれば、子どもはつぼみのうちに枯れてしまいます!
~同上書P22
それがあっての「今」なのだから、彼女の言うとおり「今さら」感はあるが、確かに子ども時代には「逃げたくなるような」苦悩があり、プレッシャーや恐怖から随分背伸びをしていたのだろうと思われる(天才音楽家あるある)。
波乱万丈の人生も良し。
どんな環境であれ、それは自らが選択したことゆえ。1964年はカラスのとっても心機一転、未来への希望が開けた年だったと見える。
1964年は波乱に満ちており、うまくいくことばかりではなかったが、明るい見通しのもてる年だった。カラスはオペラに復帰し、もっと重要なことには、声の危機という重大な問題を克服したかに見えた。自信を取り戻した彼女は、12月に『トスカ』を新たにレコーディングした。
~同上書P424
「トスカ」の新録音を僕は未だ聴いていない。
(旧録音があまりに素晴らしいから)

久しぶりのカラスの「カルメン」にやっぱり感激する。
パリはサル・ワグラムでの録音。
ピークを多少過ぎているとはいえ、カラスの歌唱は相変わらず魅力的だ。
第1幕第5番「ハバネラ」はもちろんのこと、(直前の間奏曲は短い曲だがプレートルの引き出すニュアンス豊かな音色が見事)第2幕第12番カルメンによるいわゆる「ジプシーの歌」の巧さ! カラスの深みのある、ドスの効いた(しかし可憐な)声がモノの言う(あくまで黒子として彼女の歌を引き立たせるプレートルの技!)。
最高なるは、情熱的な間奏曲を経ての終幕。この一幕はビゼーの音楽の素晴らしさもさることながら指揮者、オーケストラ、そして歌手陣が一体となって「音楽をする」喜びに満ちる(物語は悲しいけれど)。
感動一入。
最高の歌手陣とオーケストラの饗宴!!
