
ベートーヴェンとシューベルトの墓地に参り、シューベルトの兄フェルディナントのもとを訪れてシューベルトの交響曲の楽譜に接し、そのうちの《大ハ長調》をライプツィヒのメンデルスゾーンのところに送らせて、歴史的な「初演」を可能にしたのは、ウィーンでの最大の収穫のひとつだった。ライプツィヒに帰ったシューマンは、この初演には間に合わなかったが、12月の再演でシューベルトの交響曲を初めて聴いて、「僕の理想が花ひらいた」と、その感激をあらわしている。
(前田昭雄)
~「作曲家別名曲解説ライブラリー23 シューマン」(音楽之友社)P12
ロベルト・シューマンによって発見された、シューベルトの大ハ長調交響曲。
シューマンの衝撃はいかばかりだったろう。
ドナウ、シュテファン教会の塔、遥かなアルプスの連山などの姿をつきまぜてそこにほのかに匂うカトリックの香気を加えれば、ヴィーンの一面が得られる。さらにそこに咲匂う、鮮やかな風景を心おきなくいきいきと思いうかべれば、今まで鳴らしたことのない心の中の弦が歌いだすだろう。シューベルトの交響曲をきいていると、その中にある咲く花のように明るいロマン的な生命のおかげで、あの市のことがもう一度いつになくはっきり思いだされるとともに、まさにこの環境があればこそ、こうした作品の生れ得た所以が、もう一度しっかりと呑みこめるのである。僕はこの交響曲を特に引立たせるようなことはしたくない。これを聴く人の年齢によって、いろいろな感慨や情景が思いうかべられるだろう。
~シューマン著/吉田秀和訳「音楽と音楽家」(岩波文庫)P173
ウィーンという歴史と文化を背景にしてこその「大ハ長調」である。
そして、シューマンは次のように語るのだ。
このなかには堂々たる音楽上の作曲技術以外に、多種多様多彩を極めた生命が最も微妙な段階に到るまで表われている上に、到るところ深い意義があり、一音一音が鋭利を極めた表現をもち、そうして最後に全曲の上には今までのすべてのフランツ・シューベルトの曲によってなじみ深いロマン性がまきちらされている。その上この交響曲は、ジャン・パウルの4巻の大部の小説に劣らず、天国のように長い。
~同上書P174
この有名な言葉を目にして、シューベルトの「大ハ長調」に興味を持たない人はいないだろう。高校生の当時、ご多分にもれず、僕も感化され、最初に聴いたフルトヴェングラー盤に痺れ、繰り返し聴いた。
以来、様々な指揮者で聴いてきたが、昨今よく聴くのはクレンペラーが晩年にEMIに録音したもの。
決して鈍重にならず、想像よりも快活で軽快な演奏は、繰り返し聴いても疲れることがない。「天国的長さ」を感じさせない名演奏だと僕は思う。
シューマンは書く。
ただ、あんなに感動的な第2楽章については、ぜひ一言しなければ気がすまない。この中でホルンが遠くから呼ぶ声のように聞こえてくるところがある。これをきくと、僕はこの世ならぬ声をきくような気がする。そうして天の賓客の忍び足で通ってゆく音を、傾聴するかの如く、全楽器ははたと止んで耳を澄ます。
~同上書P176
シューマンが感動的だとしたのは、(クレンペラー盤の)05:40あたりからのホルンと弦の対話の部分だが、確かにここは彼が「天国的」と称した響きがある。シューマンの讃美はこの第2楽章を頂点にして、一層興奮を伝えるものとなる。
あまりに美しい。
