
厳選された名演奏が目白押しの「バンベルク響70周年ボックス」。
世界初リリースの音源多々で、17枚のすべてが充実しており、満足度が高い。
14枚目は、ロベルト・シューマンとヨハネス・ブラームス。
この、世紀の師弟の残した交響曲を、クリストフ・エッシェンバッハとヘルベルト・ブロムシュテットがいぶし銀の、堅い演奏を残している。
「新しき道」と題する、シューマンの、ブラームス発見を記す論文。
すると、果して、彼はきた。嬰児の時から、優雅の女神と英雄に見守られてきた若者が。その名は、ヨハンネス・ブラームスといって、ハンブルクの生れで、そこで人知れず静かに創作していたが、幸いにも教師にその人を得、熱心にその蘊蓄を傾けてもらったおかげで、芸術の最も困難な作法を修めたすえ、さる高く尊敬されている有名な大家の紹介によって、先日私のところにきたのである。彼は誠に立派な風貌を持っていて、みるからに、これこそ召された人だと肯かせる人だった。ピアノに坐ると、さっそくふしぎな国の扉を開き始めたが、私たちはいでてますますふしぎな魔力の冴えに、すっかりひきずりこまれてしまった。彼の演奏ぶりは全く天才的で、悲しみと喜びの声を縦横に交錯させて、ピアノをオーケストラのようにひきこなした。曲はソナタ(むしろ変装した交響曲のような)や—その言葉を知らなくてもよくわかるような、しかも深い歌の旋律がすみずみまでしみこんでいる歌曲や—実に気持のよい形式をもち、デモーニッシュな性質もところどころ見られる二三のピアノ曲や—それからヴァイオリンとピアノのソナタ—弦楽四重奏などであったが—こうした曲が、どれもこれも、それぞれ趣きを異にしているので、別の源泉から流れ出してくるのではないかと思われるくらいだった。またとうとうたる流れが、流れ流れて滝となって落ちるように、どの曲も散々流れた末に、彼の中に呑み尽されるのではないかというような気もした。そうして、弓形に流れ落ちる滝の上には、のびやかな虹がかかり、岸辺には蝶々が舞い、鶯の声さえきこえた。
~シューマン著/吉田秀和訳「音楽と音楽家」(岩波文庫)P241-242
ブラームスの、演奏家としての天才を見抜いたシューマン夫妻の驚愕。
そして、この天才が、近い将来作曲家として大成するだろうという予言。シューマンは続ける。
今後、彼の魔法がますます深く徹底して、合唱やオーケストラの中にある量の力を駆使するようになった暁には、精神の世界の神秘の、なお一層ふしぎな光景をみせてもらえるようになるだろう。願わくば、最高の守護神が彼をそこまで強化するように。彼の中にはもう一人の、謙虚という守護神がいるが、これをみても、そうした将来に備えている天の配慮のほどが偲ばれる。彼の同時代人として、私たちは世界への門出に当って彼に敬礼する。世界にでるからには、手傷を負うことも、もとより覚悟しなければならないが、月桂冠や誉れの椰子の樹もまちうけていることだろう。私たちは彼を逞しい闘争者として歓迎する。
(1853年10月)
~同上書P242-243
最大限の讃美にロベルト・シューマンの慧眼を思う。
いずれもドイツ正統派の演奏スタイル。
堅牢な様式美の中に、シューマンにはシューマンの躍動があり、ブラームスにはブラームスの愉悦がある。両曲に共通するのは、内観的な内容を持つことだ。
エッシェンバッハとブロムシュテットの指揮は堅いと先に書いた。
個人的な趣味という点では、この二人の指揮は僕の圏外なのだが、この稀代のボックスで聴いていないものは何かと確認したところ、先ずこの1枚だった。
やっぱり踏み外しの少ない良い演奏だろうが、個性的とは言えない点で僕の好みではない。
しかしながら、シューマンとブラームスの創造した音楽の素晴らしさは十分に伝わる。
(音楽とはあくまで聴き手の感性に左右されるものであり、その演奏に本来良いも悪いもないのだということがよくわかる)
