ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィルのシベリウス第7番(1965.2.23Live)ほかを聴いて思ふ

mravinsky_in_moscow_1965628ダイナミクスの明確な、そして月の石の如くの、ごつごつとしながら神秘的な唯一無二のシベリウス。北欧の孤高の作曲家の究極の作品を表現するのにある意味邪道なのかもしれないが、実に説得力のある演奏。

浮いたり沈んだり、人間の感覚というのはやっぱり日々変化する。
小雨降る初秋の、8月末とは思えない肌寒い夜に、思いに耽ながら聴くムラヴィンスキーの素晴らしさ。迷いのない悟りの境地を憧憬する。

是の故に君子は先ず徳を慎む。
徳が有れば此に人有り。
人が有れば此に土有り。
土が有れば此に財有り。
財が有れば此に用有り。
徳は本なり。財は末なり
本を外にして末を内にすれば、
民を争わしめて奪うことを施す。
(四書五経―大学)

徳がすべてなのである。空というものを、中庸というものをあらためて思う。
理想は遠い。しかし、それは空想であってはいけない。流れに委ね、自然と一体化することを求む。

・モーツァルト:歌劇「フィガロの結婚」K.492~序曲
・モーツァルト:交響曲第39番変ホ長調K.543
・シベリウス:「トゥオネラの白鳥」作品22-3
・シベリウス;交響曲第7番ハ長調作品105
・ワーグナー:歌劇「ローエングリン」~第3幕前奏曲
・ワーグナー:楽劇「ワルキューレ」~ワルキューレの騎行
エフゲニー・ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィルハーモニー管弦楽団(1965.2.23Live)

50余年前の奇蹟。終始静けさに満ちる宇宙、「トゥオネラの白鳥」。
また、交響曲第7番の有機的な、そして人間的な響き。ここにはひとつの苦悩がある。しかもそれは解放を願う悩みなのだ。強烈な金管の咆哮。歌う弦楽器の色気。人間は色にまみれ、また業を背負い人生を歩む。何という峻厳!(そうやすやすとは耳にできぬ)
おそらくシベリウスは考えた。
道半ばで筆を折らねばならなかった哀しみを。

一方、モーツァルトの軽快な愉悦の奔流。
「フィガロの結婚」序曲の強烈なアタックに秘められる赤子のような、無垢の音。
そして、変ホ長調交響曲第1楽章序奏アダージョにおける大宇宙の雄叫びと主部アレグロに移る瞬間の覚醒。何とも素晴らしい。・
また、第2楽章アンダンテ・コン・モートの透明感と柔和な音色、第3楽章を経て終楽章アレグロの驚異的前進!
おそらく当日のアンコールであろう狂喜乱舞のワーグナーは卒倒もの。

レニングラード・フィルの優秀さは、1965年2月に、ムラヴィンスキーが彼のオーケストラをモスクワに連れて行った時に裏付けられた。ここで彼は20世紀音楽で構成される4回のコンサートを行った。これらのすべてがレニングラードの人々にその直前に披露されたばかりだった。
グレゴール・タシー著/天羽健三訳「ムラヴィンスキー高貴なる指揮者」(アルファベータ)P270

 

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