生涯を通じて何かを発し続けることが大切だ。
フェーリクス・メンデルスゾーンが書き続けた「無言歌集」を聴いて思った。
しかし、この曲集はいわくつき。フェーリクスの名義で出版されたものの、実際には姉のファニーの作品が多くを占めるのではないかとも言われる。
実際にフェーリクスは自分が書きかけた作品の完成をファニーにゆだねることも少なくなく、現在はフェーリクスの作品とされている無言歌の中にも、ファニーの作品がかなり紛れ込んでいるのではないかとも言われている。そもそも「無言歌」というジャンルそのものがファニーによる発明だという。フェーリクスはファニーとの強い一体感を感じていたので、こういうかたちでの出版を不自然に思わなかったのだろう。
~山下剛著「もう一人のメンデルスゾーン―ファニー・メンデルスゾーン=ヘンゼルの生涯」(未知谷)P66
実に興味深い。
座右の盤となるだろう、マティアス・キルシュネライトによる無言歌集。
おそらく十分な思い入れと、しかし、丁寧に弾こうという意志の強く働く理知的な演奏。
しかも、フェーリクスのそれとファニーのそれを全曲収めているところがミソ。
並べて通して聴いてみて思う。
親しみやすい旋律を生み出すことにかけてはひょっとするとフェーリクスの方が長けているかもしれない。しかし、高雅な音調と、音楽の展開の斬新さ、美しさでは明らかにファニーが一枚上手。いや、フェーリクスの作品の多くがファニーの手によるものだとするなら、ここにあるすべての音楽の、様々な感情が横溢した女性的な美しさはファニーから発せられたものと認識して良いだろう。
抑圧されているものが一気に吹き出すときのエネルギーは凄まじい。
ファニーの23歳の誕生日に父アーブラハムが送った手紙は、いかに彼女の感性が自由奔放であったかを物語る。
おまえはもっとしっかりしなければならない、もっと落ち着かなければならないよ。おまえはもっと真剣にもっと熱心に、おまえの本来の職業であり、女の唯一の職業である主婦になるように、修業を積まなければならないのだよ。
~同上書P67
女性にとっては本当に厳しい時代。
確かにあり余る才能を十分に生かし切れなかったならば、音楽史における大損失だ。しかし、少ないとはいえこれだけの諸作品を残せたなら、良しとすべきだろう。
例えば、1841年11月15日のアンダンテ・コン・モートロ短調作品2-2の深い悲しみを湛えた詩情は明らかに天才のそれ。
あるいは、アレグロ・ヴィヴァーチェロ長調作品6-2の躍動は彼女の内から沸々と湧き上る情熱の反映だ。
メンデルスゾーン:無言歌集
・第1巻作品19b(1833)
・第2巻作品30(1835)
・第3巻作品38(1837)
・第4巻作品53(1841)
・第5巻作品62(1844)
・第6巻作品67(1845)
・第7巻作品85(1850/51)
・第8巻作品102(1867/68)
・第9巻
ファニー・メンデルスゾーン=ヘンゼル:ピアノのための歌
・ピアノのための4つの歌作品2(1846)
・ピアノのための4つの歌作品6(1847)
・ピアノのための4つの無言歌作品8(1850)
・パストレッライ長調(1846)
マティアス・キルシュネライト(ピアノ)(2013.11.10-11, 2014.4.28-5.1, 6.2-4 &12.13-16録音)
それにしてもファニーの「無言歌集」作品8の抒情。第3番ラルゲット変ニ長調の儚さ。彼女の心がどれだけ寂しさでいっぱいだったかが手に取るようにわかる。一方、第4番プレストホ長調にみる激情。
私は、全生涯を通して、あなたたちや私が愛するすべての人たちから気に入られたいという望みを抱いていたと言うべきでしょう。そしてもしも私がそれは事実と違うだろうとあらかじめ知っていたら、私はむしろ不愉快に感じます。一言で言えば、私は出版を始めるのです。
(1846年7月9日付、フェーリクス宛ファニーの手紙)
~同上書P186-187
急逝する10ヶ月前の手紙。ここには強烈な意志がある。
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