アバド指揮ベルリン・フィルのジルベスター・コンサート1995(1995.12.31Live)を聴いて思ふ

mendelssohn_4_midsummer_abbado_bpo640人の心をつかむのは難しい。
思想は不要なのである。何より感情に訴えかけねばならぬ。

我々ベルリン・フィルのみならず、他の文化機関で仕事をする人々も、ある一つのテーマに心躍らせ、あらゆる方向からテーマを深めていくことを期待しています。文学・映画・音楽の各ジャンルの研究が、多かれ少なかれ、本来の主要な催し物と直接に結びつきます。・・・毎年の中心的テーマを決めることは、類似、連想、メタファーを生かすことでもあります。
ヘルベルト・ハフナー著/市原和子訳「ベルリン・フィル あるオーケストラの自伝」(春秋社)P373

クラウディオ・アバドの、全シーズンにわたるコンセプトを決めるというアイディア、戦略は素晴らしかったと思う。しかし、それが緻密になればなるほど、皮肉にも聴衆の心は離れていった。それは、真理を追究していけば物事はシンプルになるものの、かえってそれが一般には理解困難に陥っていくことに近い。

聴衆の大部分は、アバドのテーマ作りを、少し教育的すぎるし、複雑すぎる、あまりに広大な歴史に入り込みすぎる、現代音楽にも手を広げすぎる・・・と感じた。しかも、伝統的なジルベスター・コンサートにまでテーマを設けても、客は十分に入らない。
~同上書P375

僕は、アバドの挑戦は実に正統で、非常に興味深いものだと当時思っていた。そして、その思いは今も変わることはない。
1995年のジルベスターのテーマはメンデルスゾーン。
颯爽と、そして瑞々しく、クラウディオ・アバドのメンデルスゾーンは美しい。

メンデルスゾーン:
劇音楽「真夏の夜の夢」作品61(抜粋)
―序曲作品21
―第1番スケルツォ
―第2番メロドラマ「おおい妖精くん、どこへ行くんだい」
―妖精たちの行進曲「月夜に面白くない出会いだな」
―第3番 合唱つきの歌「さあ、輪になって」
―第4番「目覚めたときに何が見えようと」
―第5番 間奏曲「おまえときたら」
―第7番 夜想曲
―第8番
―第9番 結婚行進曲
―フィナーレ「弱った炎の傍らに」
・交響曲第4番イ長調作品90「イタリア」
バーバラ・スコーヴァ(語り)
シルヴィア・マクネアー(ソプラノ)
アンゲリカ・キルヒシュラーガー(ソプラノ)
エルンスト・ゼンフ合唱団女声合唱
クラウディオ・アバド指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(1995.12.31Live)

抜粋とはいえ、「真夏の夜の夢」を劇作品として上演すること自体が画期的だ。
例えば、第5番「間奏曲」冒頭の優美なホルンの音色に和む。
囁きと叫びと・・・、心のこもった、スコーヴァの語りの七変化。劇の進行とともにアバドの音楽は熱を帯びてゆく。そして、第3番「さあ、輪になって」あたりを聴くと、メンデルスゾーンは間違いなくモーツァルトの生まれ変わりだと確信する。音楽による見事な感情表現に天才を思う。あるいは、荘厳な第9番結婚行進曲!!

ちなみに、「イタリア」交響曲は、ロンドン響との名録音に比してやや暗く、重い。
それでもアバドの自家薬籠中の表現は、メンデルスゾーンの魂を美しく音化し、僕たちを鼓舞する。何という憧憬!何という晴れやかさ!音楽が生きて、自然と感情に訴えかける。

雨の金沢にて、夜が更ける・・・。

 

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