フィリッパ・ジョルダーノ(2000)を聴いて思ふ

初めて聴いた時、こぶしの利いた歌に多少の違和感を覚えた。
しかし、深層の感情を直接的に表現するという意味では、とてもわかりやすく、その分直接に心に染み入る。
人と人とのつながりも何はともあれストレートでなければならぬ。

これに見習って滝へ近づいた本多は、ふと少年の左の脇腹のところへ目をやった。そして左の乳首より外側の、ふだんは上膊に隠されている部分に、集まっている三つの小さな黒子をはっきりと見た。
本多は戦慄して、笑っている水の中の少年の凛々しい顔を眺めた。水にしかめた眉の下に、頻繁にしばたたく目がこちらを見ていた。
本多は清顕の別れの言葉を思い出していたのである。
「又、会うぜ。きっと会う。滝の下で」
三島由紀夫著「奔馬(豊饒の海・第2巻)」(新潮文庫)P48-49

輪廻転生の物語。今生でまさか(姿形を変えての)2度の出逢いがあるとは誰も想像しまい。
しかし、遭遇した時の衝撃は計り知れないものがある。
フィリッパ・ジョルダーノの歌う「オペラ・アリア」は、さしずめ過去の(古典の)名曲をポップ化した再生の物語である。

・ベッリーニ:清らかな女神よ~歌劇「ノルマ」より(ショート・ヴァージョン)
・サン=サーンス:あなたの声に心が開く~歌劇「サムソンとデリラ」
・プッチーニ:歌に生き、恋に生き~歌劇「トスカ」
・ビゼー:ハバネラ(恋は野の鳥)~歌劇「カルメン」
・プッチーニ:私のお父さん~歌劇「ジャンニ・スキッキ」
・バッハ/グノー:アヴェ・マリア
・ヴェルディ:さようなら過ぎ去った日よ~歌劇「椿姫」
・モリコーネ:ロスト・ボーイズ・コーリング
・サルトーリ:ユー・アー・ザ・ワン
・サルトーリ:ディゾナンス
・サルトーリ:マリア(海辺にて)
・ベッリーニ:清らかな女神よ~歌劇「ノルマ」(エクステンデッド・ヴァージョン)
フィリッパ・ジョルダーノ(ヴォーカル)
ロンドン・セッション・オーケストラ

「ノルマ」から「清らかな女神よ」の心のこもった美しさ。あるいは、「トスカ」から「歌に生き、恋に生き」の哀感満ちる歌。プッチーニの生み出す旋律をポップス調にアレンジして絶唱するジョルダーノの真実ここにあり。そして、カルメンの歌う「ハバネラ」の熱き思いは、彼女の声を獲得し、一層の熱を帯びる。
また、「アヴェ・マリア」の前奏はバッハのト長調無伴奏組曲のアレンジであるところが面白い。なるほど。

孤独な少年の生きるみちは、世間が幻にしてしまった夢をもう一度実体化すること以外にあり得ないのである。現実の不確実性をだれでもが知っているのに、なぜだれでもがそれを信じている顔をしたがり、純粋な夢を嘲笑するのか。勲のねがいは昇る日輪のもとに、輝く海をまえに死ぬことだった。
(解説:村松剛)
~同上書P514

「輝く海をまえに死ぬことだった」という言葉が重い。
死は三島にとってやはり一番の友達だったのかもしれぬ。

 

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2 COMMENTS

雅之

三島の「輝く海をまえに死ぬことだった」に、「青は藍より出でて藍より青し」という荀子の言葉を、ふと連想しました。

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