ナタリー・シュトゥッツマン コントラルト・リサイタル

桜木町駅を降りたら激しい雨だった。
傘にかかる水飛沫の音を聴きながら、神奈川県立音楽堂に向かった。
水は多様に変化し、どんな形にもきれいに収まり、何色にでも染まる。
すべてを受け入れる大らかさ。
生きとし生けるものに不可欠のもの。

水も滴るフランツ・シューベルト。
そういえばシューベルトの音楽も無限の様相を醸す。
どんなアレンジを施しても、その音楽の内側は極めて自由であり、また実に透明で美しい。
ナタリー・シュトゥッツマンのリサイタルを聴いた。
イングヴァル・カルコフ編曲による室内楽伴奏版のオール・シューベルト・プラグラム。
何て儚い音調よ。でありながら、何という永遠!!
ナタリーの歌唱は時に男性的で、時に女性的であった。ほとんど両性具有の、ふくよかな調べ。あの低く伸びのある歌声に僕は痺れた。

ナタリー・シュトゥッツマン コントラルト・リサイタル
2017年5月13日(土)15時開演
神奈川県立音楽堂
シューベルト(イングヴァル・カルコフ編)
・シルヴィアにD891(ピアノ五重奏版)
・あこがれD879
・セレナーデ(「白鳥の歌」D957第4曲)(弦楽四重奏版)
・ガニュメデスD544(弦楽四重奏版)
・漁師の娘(「白鳥の歌」D957第10曲)
・きみは憩いD776(ピアノ五重奏版)
・ピアノ三重奏曲第1番変ロ長調D898~第3楽章スケルツォ
・憩いない愛D138
・音楽に寄すD547(弦楽四重奏版)
・若い尼D828(ピアノ五重奏版)
休憩
・愛の使い(「白鳥の歌」D597第1曲)(ピアノ五重奏版)
・さすらい人D489(ピアノ五重奏版)
・リュートに寄すD905(弦楽四重奏版)
・万霊節の連禱D343(ピアノ五重奏版)
・笑いと涙D777
・弦楽四重奏曲第13番イ短調D804「ロザムンデ」~第2楽章アンダンテ
・タルタルスの群れD583(ピアノ五重奏版)
・死と乙女D531(ピアノ五重奏版)
・春にD882(ピアノ五重奏版)
・ミューズの子D764(ピアノ五重奏版)
~アンコール
・ますD550(ピアノ五重奏版)
・野ばらD257(ピアノ五重奏版)
・ロザムンデのロマンス「満月は輝き」D.797-3b
ナタリー・シュトゥッツマン(コントラルト)
インゲル・ゼーデルグレン(ピアノ)
四方恭子(第1ヴァイオリン)
瀧村依里(第2ヴァイオリン)
鈴木学(ヴィオラ)
大友肇(チェロ)

「きみは憩い」D776の、ピアノ五重奏版であるがゆえの安寧の響きに恍惚となり、続く三重奏曲のスケルツォの、いかにもシューベルトらしいやや冗漫な喜びに嬉しくなった。
特に、前半最後の「若い尼」D828に、シュトゥッツマンならではの強靭な男性性を僕は見た。この音楽的拡がりは気のせいか宇宙規模。
20分の休憩後、いよいよ音楽は真に迫ってゆく。
何より「万霊節の連禱」D343の深みたるや!!
第1節はピアノ伴奏によって歌われ、第2節以降ピアノ五重奏による伴奏による変化が聴きもの。何というニュアンス豊かな音!

安らかに憩え、すべての霊よ、
おそろしい苦しみをなめたものも、
あまい夢のなかで生きたものも、
人生に倦んだものも、またこの世に
生まれるとすぐ死んでしまったものも、
すべての霊よ、安らかに憩え!
(喜多尾道冬訳)

実に現世的な詩。死ぬことは決して恐ろしいことではないはずなのに・・・。
たぶん・・・、シューベルトは暗に知っていたのだろうと思う。
なぜなら、その音楽は彼岸の先から創り出されたかのような神々しさゆえ。
さらに、「ロザムンデ」変奏曲の、甘い調べに懐かしさを覚え、僕はシューベルトの偉大さを再確認した。
アンコールは、有名どころの歌曲たち。「ます」も「野ばら」も、また「ロザムンデのロマンス」もナタリーの別の一面、女性性に溢れ、素晴らしかった。
弦楽器を伴奏に聴くシューベルトの醍醐味。
東京に戻ったら、雨は止んでいた。

 

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2 COMMENTS

雅之

クラシック音楽って、歌曲のジャンルだけは原曲の調性に無頓着で、移調が当たり前なのがお約束のジャンルですよね。「冬の旅」他シューベルトの歌曲集なんて、各曲の移調度合がそれぞれバラバラで全曲を歌うのがごく普通ですからね。

しかし、器楽の世界だって厳密にいうとピッチが各国・各々のオケによって異なったりして、協奏曲では独奏楽器が、オペラでは歌手が、オケのピッチに合わせなければなりません。そうなると、「調性の色」だの「絶対音感」だの、ほとんどもうどうでもいいことに思えてなりません。

ドラマ「逃げ恥」から・・・。

・・・・・・曖昧だから成り立つ幸せは、曖昧な幸せ。システムで作られた関係は、システムから逃れられない。・・・・・・森山みくりの台詞より

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返信する
岡本 浩和

>雅之様

音楽の世界に限らず、今はあまりにデジタル的になり過ぎているのが問題なんだと思いますね。

>システムで作られた関係は、システムから逃れられない。

この言葉は実に深いです。
西洋音楽も、どんなに足掻こうと「平均律」というシステムからは結局逃れられないですしね・・・。

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