ヘンゼルとグレーテル

humperdinck_hensel_und_gretel_solti.jpg4人になったドリフターズのCMを観て、いやりや長介がいなくなった後の彼らってどういうバランス関係になっているのかとふと気になった。年長という点からいえば高木ブーだろうし、芸歴という点から見たら加藤茶なのかもしれないし・・・。でも、どうみてもバカ殿に扮している志村けんが一番人気で、実は最も力を持っているのかもしれないなぁ、などと考えてみた・・・。
1980年代初頭に「オレたちひょうきん族」がブームになって以降、土曜日の午後8時は専らフジテレビ(関西テレビ)にかじりつくようになったが、少なくとも70年代、小中学生の頃は「8時だよ!全員集合」を欠かさず観ていた。PTAなど教育の現場からいわせるとワースト番組のトップに必ず名を連ねていた悪名高い人気番組だが、最高に面白かった。

当時(1974年)、ドリフターズの付人だった志村けんが荒井注の代わりに加入することになったその時のシーンは不思議によく覚えている。荒井注の「何だ、馬鹿やろう!」というギャグが滅法好きだった少年にとって、何とも頼りなげな青年だなと前任者が抜けたことが残念でならなかったのだが、その後の活躍をみてみると、志村けんこそがドリフターズを支えた立役者だったことがよくわかり、ある意味起こるべくして起こった交代劇だったことが理解できる。

しかし、いずれにせよいかりや長介がやっぱり真のリーダーだったということだろう。空中解散してしまったわけではないのだろうが、全盛時の勢いももちろん、今やグループとしてのアンバランスさが露呈しているのがその証のように思われる。いかりや長介なくしてドリフターズは成り立たず、なのかもしれない。

たとえ教育者からどれだけ白い目で見られようが、子どもにとってあの番組は最高に面白かった。優等生的でない、ブラック・ユーモアやスレスレのコントが僕らのワクワク感を喚起していた。内容が時に残酷で、時に非常識であろうと、子どもに「真実」を知らせるためには表も裏もある程度教えた方が教育上正しいのではないかと僕は思う、「正しいことと間違っていること」のメリハリさえつけることができるなら、そういう教えを受けた子どもの方がまともになるように僕には思える。

ところで、本日は9月朔日。
エンゲルベルト・フンパーディンクの155回目の誕生日に因み、メルヘン・オペラの最高峰「ヘンゼルとグレーテル」を聴く。このオペラはタイトルどおり、グリム童話を原作にしているが、もともとの物語にある状況のいくつかは残酷である等の理由で改変されている。ということは、グリム兄弟が本来表現したかった内容とは微妙に相違を持つことになる。当の僕も大人になってからグリム童話改変の事実を知った。その内容たるやえらい違いである。結局、今も昔も、大人は子どもの教育には相当眼を光らせているということになる・・・。果たしてそれが正しいことなのかどうかはわからない。実は「残酷さ」を知ることで、なぜそういうことが起こるのかに興味を持ち、逆に子どもは慈悲心を学習していくのではないのか? とも思うから。

フンパーディンク:歌劇「ヘンゼルとグレーテル」
ブリギッテ・ファスベンダー(ヘンゼル)
ルチア・ポップ(グレーテル)
ワルター・ベリー(ペーター)
ユリア・ハマリ(ゲルトルート)
エディタ・グルベローヴァ(暁の精)
ウィーン少年合唱団
サー・ゲオルグ・ショルティ指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団ほか

ショルティのワーグナーものは結構好きで愛聴するが、まさにその同じ路線で躍動感に溢れたこの演奏の価値は永遠であろう(何度聴いても美しいし、ワーグナーほど長すぎず重くないのもよい)し、キャストの選定といい音楽作りといい、なかなかこれを超えるものは今後も出てこないだろう。まさに大人も充分に楽しめる童話世界である。ちなみに、ショルティの指揮によるこの歌劇はDVDによる映像付でもリリースされているが、こちらはグレーテル役がグルベローヴァ。こういうメルヘンものは映像付で観た方が絶対にいいと思うが、いかにグルベローヴァといえどもポップの歌唱には負けるのではないか。勝手な僕の見解だが・・・。


2 COMMENTS

雅之

おはようございます。
>内容が時に残酷で、時に非常識であろうと、子どもに「真実」を知らせるためには表も裏もある程度教えた方が教育上正しいのではないかと僕は思う、「正しいことと間違っていること」のメリハリさえつけることができるなら、そういう教えを受けた子どもの方がまともになるように僕には思える。
おっしゃるとおりだと思います。現代社会は、社会の暗部を、上っ面だけ蓋をし隠蔽して、問題解決を遅らせていると感じます。小中学校内の「いじめ」が、親や先生に発見しづらくなっているのが、その象徴ではないでしょうか?
差別に対する過剰反応による言葉狩りに伴う言い換えも、そうしたことを助長していますよね。「気違い」なんていう言葉が、なぜ使われなくなったのでしょうか? 「クラシック・オタク(マニア)」と言うより、「クラシック気違い」と言ったほうが、本質を表していると思うのですが・・・、「援助交際」より「売春」のほうが的確な表現というのと同じで・・・。
時代のせいか、芸術家も政治家も、芸能人も、何か皆委縮しちゃってますよね。皆、そんなに裏側の真実を見るのが怖いのかと、情けなくなります。
ドリフターズの全盛のあの時代に戻りたいかと問われたら「否」ですが、国民全体の活気と未来への希望は、あの時代のほうがあったのは確かですね。
ドリフのメンバーについてのご感想は、同感です。
ところで私は、仕事に疲れた時、ドリフの源流でもある植木等ら「クレージーキャッツ」の映画のDVDを観るのが大好きです。「責任力」とかいって惨敗した政党や党首に、「ニッポン無責任時代」でも観て勉強し直して来い!と活を入れたいです(笑)。
http://www.amazon.co.jp/%E3%83%8B%E3%83%83%E3%83%9D%E3%83%B3%E7%84%A1%E8%B2%AC%E4%BB%BB%E6%99%82%E4%BB%A3-DVD-%E5%8F%A4%E6%BE%A4%E6%86%B2%E5%90%BE/dp/B0009Y294C/ref=sr_1_1?ie=UTF8&s=dvd&qid=1251846238&sr=8-1
http://www.ld-dvd.2-d.jp/gallery2/hikaku_crazy.html
「ヘンゼルとグレーテル」のショルティ盤、おっしゃるとおりです。 映像はLDで持っていました。DVDに買い換える気持ちがおきないのは、やはりグレーテル役がルチア・ポップではないからですかね・・・、コメントが何となくダラダラ長くなりましたので、今朝はこの辺で・・・。

返信する
岡本 浩和

>雅之様
おはようございます。
>小中学校内の「いじめ」が、親や先生に発見しづらくなっているのが、その象徴ではないでしょうか?
まさにそういうことですよね。
>差別に対する過剰反応による言葉狩りに伴う言い換えも、そうしたことを助長していますよね。
同感です。
「クレージーキャッツ」いいですねぇ。
>「責任力」とかいって惨敗した政党や党首に、「ニッポン無責任時代」でも観て勉強し直して来い!と活を入れたい
まさに!(笑)

返信する

コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください

アレグロ・コン・ブリオをもっと見る

今すぐ購読し、続きを読んで、すべてのアーカイブにアクセスしましょう。

続きを読む