涙の悲愴交響曲

数ヶ月前に知り合ったSさんの東松山にあるご自宅を訪問した。Sさんはさすがに年の功だけあり(僕より20年以上も先輩であり、66年のカラヤン&ベルリン・フィルの初来日公演も聴かれているということ。羨ましいかな同時期に騒がれたビートルズの来日に関してもよく覚えているということである)、クラシック音楽に対する造詣は深く、レコードや音楽、そしてかつて名を馳せたマエストロ達への愛情に関しても僕など及びもつかない地点に立っていらっしゃる。初めてお会いしたときからブルックナーのことやオペラのことで大いに盛り上がったこともあり、一度お伺いしたいと常々思っていたのだった。片道1時間あまりの道のり。閑静な住宅街で空気も澄んで、とても気持ちが良い。

ご自宅のリスニングルームは天井も高く、オーディオ装置もアキュフェーズのアンプにタンノイのスピーカーと音楽を嗜む者にとって憧れの機械が並ぶ。それと所有していらっしゃるソフト(SP、LPからCD、LD、エアチェックのカセットテープなどレコードの歴史を垣間見るよう)もフルトヴェングラー「バイロイトの第9」の初期盤やクナッパーツブッシュのワーグナー管弦楽曲集(ウェストミンスター)の初期盤などとにかくお宝レコードが目白押し。羨ましい限りです。

今日はご自慢の音源からいくつか聴かせていただいたのだが、一番感激したのはフルトヴェングラーが戦前にベルリン・フィルと入れたチャイコフスキーの「悲愴」のSP盤。蓄音機で聴きました。時間的なこともあり、SP1枚の片面だけ、第2楽章の前半部分5分ほど。

チャイコフスキー:交響曲第6番ロ短調作品74「悲愴」
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

かつてLPで所有し、何度も何度もレコード・プレーヤーに乗せて聴いた思い出の盤。
前にも書いたが、高校生の頃とにかくフルトヴェングラーにかぶれていた時期があり、その時はどんな曲を聴くにもフルトヴェングラーが第一で、当時の級友たちと、やれフルトヴェングラーがいい、いやワルターだ、僕はメンゲルベルクだ、などと高校生の分際で浅薄な批評をしあったものであった。

しかし、さすがに1938年録音のSP復刻なので、音も悪く、一般にはあまりおススメしない。今やもっと優秀な音質で感動的なCDは他にもたくさんあるからだ。しかし、第二次世界大戦前夜、まさにナチスが全権を掌握し、いよいよポーランドに侵攻しようと策略を練っていた戦前のドイツにあって、このような暗く重い演奏は作曲者が意図した「悲愴」というタイトル通りの雰囲気を体現しており、普遍的な美を堪能したいというクラシック音楽通にはもってこいの演奏かもしれないと思うのである。

そういえば、昨日は大日本帝国が「真珠湾攻撃」を仕掛け、太平洋戦争が始まった日である。まるで来るべき「不幸」を予感し、「哀しみ」を一身に背負ったフルトヴェングラーの演奏する「悲愴」交響曲、終楽章の慟哭。涙なくして聴けようか。

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