フリッチャイはモーツァルトを楽観主義者とし、ベートーヴェンを悲観主義者としたが、果たしてどうか? 確かにフリッチャイのモーツァルト解釈は明快なのだけれど。
モーツァルトは最後の偉大な楽観主義的な作曲家であり—絶対音楽の意味において—最後の古典的な作曲家であった。誤った表面的な見方は、今日でもモーツァルトとベートーヴェンの二人を共に古典的で絶対音楽の作曲家であると考えることである。ベートーヴェンとモーツァルトは互いにかけ離れた独自の世界を持っている。これは決して価値判断ができず、説明やせいぜいのところ解釈ができるにすぎないということなのである!
ベートーヴェンは市民として自立しており、故郷なき人としてその魂の奥底ではロマン主義者であった。孤独な人、孤独を愛する者であり—自らや世界と不断の戦いをする巨人であった。彼は音楽における標題や文学、さらにはロマン主義とも戦う。そして、それにもかかわらずベートーヴェンは非常にロマン的な性向を持ち、深い悲観主義と結びついている。
~フェレンツ・フリッチャイ著/フリードリヒ・ヘルツフェルト編/野口剛夫(訳・編)「伝説の指揮者 フェレンツ・フリッチャイ 自伝・音楽論・讃辞・記録・写真」(アルファベータブックス)P43
ある意味この論は的を射ているだろう。しかし、モーツァルトには独特な、一見楽観を装った悲しみが常に渦巻いている。作曲しているときは別人格であったのだろうモーツァルトは、決して世捨て人ではなかった。しかし、ベートーヴェンはあくまでどんなときもベートーヴェンだった。それゆえに世界が喜劇であることを見抜き、仮を借りて真を知るという意味で彼こそ真の楽観主義者でなかったと僕は思う。その点、逆にモーツァルトは人としてはむしろ悲観主義者だったのではないか?
優雅で確信に満ちた敬虔な響き。病から復帰したばかりのフリッチャイの創造する音にはモーツァルトへの愛情が横溢している。限られた時間の中で真摯に向き合う姿勢と、それに呼応するかのように壮絶な歌を聴かせる4人の独唱陣。キリエ冒頭から劇的であり、何よりグローリアのクオニアムにおけるシュターダー、テッパー、そしてヘフリガーによる三重唱は涙もの。続く合唱「イエス・キリスト」、「聖霊とともに」の荘厳さよ。そして、クレドにおける「エト・インカルナトゥス」でのシュターダーの独唱も美しく、聴きもの。
ところで、結局未完に終わったミサ曲ハ短調にまつわるエピソードが興味深い。
ここで7月29日以後の姉ナンネルの日記を見せてもらおう。
7月29日。朝7時のミサに、弟と義妹と一緒に行く。
7月30日(ナンネルの誕生日)。午後、弟が私にアイスクリーム、夜はポンスを作ってくれた。
ヴォルフガングはこの日「ポンスとともに捧げる祝詞」を書いて、サーヴィスにこれ努めている。これも半ばコンスタンツェのためであろうか。
10月23日。カペルハウスで弟のミサ曲の稽古に立ち合う。この曲では義妹がソロを歌う。
10月25日(26日の誤り)。聖ペーター教会のミサ聖式で、弟がミサをあげた。宮廷楽団員全員が列席した。
これがヴォルフガングの結婚の「誓約」であった。《ハ短調ミサ》K427の初演である。しかし姉は、その成果については何も語っていない。
~高橋英郎「モーツァルトの手紙」(小学館)P336-337
ちなみに、僕の手元にある音盤は西独プレスの初期盤だが、(多少こもり気味の音質ながら)良く鳴っている。