ピエタリ・インキネン指揮日本フィルハーモニー交響楽団第690回東京定期演奏会

火神ローゲが鍵を握る。

栄華を鼻にかけている神々が
ひたすら没落へと歩み急ぐ―
こんな連中の相手をするのは
俺の面汚しにもなりかねない。
ふたたび炎へと姿を変え
すべてのものを舐めつくす―
そちらのほうがよほど面白そうだ。
日本ワーグナー協会監修/三光長治・高辻知義・三宅幸夫・山崎太郎編訳「ワーグナーラインの黄金」(白水社)P115

神といえど、企み、すなわち私心が支配している以上、どんな場合もいずれ没落するのだ。
最後の、哀しく響くラインの乙女たちの嘆きの真実味!!!

きよらの黄金!
ああ、汚れなき宝よ、
もう一度この河底を照らしておくれ!
水底にこそ
分け隔てない交わりがある。
上の方で得意になっているのは
卑怯と欺瞞の塊なのよ!
~同上書P117

最高!!素晴らしいステージだった。
上野の山で繰り広げられた、醜い駆け引きのドラマの序幕を聴いた。
奇を衒った演出のない演奏会形式だったゆえ、音楽に集中できたことが何より。
同時に、多少の演技を交えた歌手たちの動きを観察しながら、僕にはアルベリヒが天使に見えた。そもそも、指環を造ることができるのは、性の魔力にとらわれず、恋の悦楽を断った者だと、第1場(ラインの河底)でヴォークリンデ(ラインの乙女)が諭しているのだ。それこそ、神仏の世界に帰依した者だけが得ることのできる秘法。結果、何とアルベリヒは性愛を捨てたのである!となると、水底に眠る黄金こそがいわば一体の原初であり、それによって鋳造された指環こそ良心、そしてそれを神々の長ヴォータンに奪われたことでアルベリヒ恨みを抱えたことが世界の終わりの始まりだと読みとれる。なるほど、この小人はここで呪いをかける堕天使(ルシフェル?)になったということだ。
僕は、滔々と流れ、そして時に爆発するワーグナーの音楽の魔力に虜になった。

冒頭から、特にホルンなど金管楽器群の覚束なさが気になったけれど、第2場(広々とした山々の高み)最後から第3場「ニーベルハイム」にかけての間奏曲あたりから圧倒的な音楽の渦に、演奏の多少の瑕はまったく気にならなくなった。演者一人一人が集中し、オーケストラもインキネンの的確な棒に見事に応え、一触即発的「今ここ」の音楽が奏でられていた。

日本フィルハーモニー交響楽団第690回東京定期演奏会
2017年5月26日(金)19時開演
東京文化会館
・ワーグナー:楽劇「ニーベルングの指環」―序夜「ラインの黄金」(演奏会形式)
ユッカ・ラジライネン(ヴォータン、バリトン)
リリ・パーシキヴィ(フリッカ、メゾソプラノ)
西村悟(ローゲ、テノール)
ワーウィック・ファイフェ(アルベリヒ、バリトン)
安藤赴美子(フライア、ソプラノ)
畠山茂(ドンナー、バリトン)
片寄純也(フロー、テノール)
池田香織(エルダ、アルト)
林正子(ヴォークリンデ、ソプラノ)
平井香織(ヴェルクンデ、メゾソプラノ)
清水華澄(フロスヒルデ、アルト)
与儀巧(ミーメ、テノール)
青木健詞(ファーゾルト、バス)
山下浩司(ファフナー、バス)
扇谷泰朋(コンサートマスター)
辻本玲(ソロ・チェロ)
ピエタリ・インキネン指揮日本フィルハーモニー交響楽団
佐藤美晴(演出)

特に、僕が感動を覚えたのは以下のシーン。
第4場(山上の開けた台地)での、指環を奪われたアルベリヒの呪いのシーンの壮絶さ(ファイフェの巧さ)。
そして、突然暗転し、智の女神エルダが舞台後方に現れ、未来を予言し、示唆する場面。

ただ今日ばかりは
ゆゆしき事態がさしせまり
憂いのあまりみずから参上したしだい。
お聞きなさい、しかと耳を傾け!
生者必滅の理を。
陰鬱な日々が
神々にも訪れようとしています。
そなたに告げます―指環を避けよ!
~同上書P105

もともと神であった人間が堕落する瞬間を、何と見事に描き切ったことだろう。リヒャルト・ワーグナー恐るべし。
また、最後の、畠山茂扮する雷神ドンナーの(少々不安定であったけれど)歌唱の(それがゆえの)真実性と、続く「神々のヴァルハラ城入場」でのヴォータンに扮するユッカ・ラジライネンの圧倒的な歌に酔いしれた。
夢の中にいるような2時間半。
前奏曲から流れるような心地良い響きを終始見事にコントロールしたピエタリ・インキネンの力量。そして、その棒に丁寧にかつ必死に応える日本フィルの技量。何やかんや言いながら、後半の力の乗った金管の咆哮は素晴らしかった。
ちなみに、反響板に映し出された、望月太介の照明の演出も出色。

ワーグナーにはやっぱり未来が見えていたのだとあらためて思う。

 

ブログ・ランキングに参加しています。下のバナーを1クリック応援よろしくお願いいたします。


音楽(全般) ブログランキングへ

にほんブログ村 クラシックブログへ
にほんブログ村


2 COMMENTS

雅之

岡本様が名演を体験されていたちょうどそのころ、大学四年の東京の息子から「第一志望だった会社の内定が決まった」との一報が入りました。おそらく東京勤務とのこと(わからないけど・・・笑)。

インキネンは1980年生まれですか。まさに私が東京文化会館でベームのフィガロを聴いて大感激した年です。

https://www.amazon.co.jp/%E3%83%A2%E3%83%BC%E3%83%84%E3%82%A1%E3%83%AB%E3%83%88%E6%AD%8C%E5%8A%87-%E3%83%95%E3%82%A3%E3%82%AC%E3%83%AD%E3%81%AE%E7%B5%90%E5%A9%9A-K-492-%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%AB-%E3%83%99%E3%83%BC%E3%83%A0%E6%8C%87%E6%8F%AE-%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%B3%E5%9B%BD%E7%AB%8B%E6%AD%8C%E5%8A%87%E5%A0%B4%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%85%AC%E6%BC%94-1980%E5%B9%B4-DVD/dp/B000OPPTUC/ref=sr_1_1?s=dvd&ie=UTF8&qid=1495821250&sr=1-1&keywords=%E3%83%99%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%80%80%E3%83%95%E3%82%A3%E3%82%AC%E3%83%AD%E3%81%AE%E7%B5%90%E5%A9%9A

前回はシューマンの話題でしたが、中年になって今まで嫌いだったシューマンを好きになったなどと手のひら返しで平然とおっしゃるのは、どこかでご自分に嘘をついておられます。シューマンとは青春の音楽だと、私には実体験から確信を持っていえるからです。

音楽への感性も味覚への嗜好も、ベースは多感な10代から20代前半で決まります。今まで聴いたこともないワーグナーに、50代で突然心底惚れこむことなど到底不可能でしょう(そもそも長時間拘束の我慢が無理)。今こうしてワーグナーの実演に感激されているのは、岡本様の若いころの貯金が生きている証なんでしょうね。

返信する
岡本 浩和

>雅之様

御子息の内定おめでとうございます!この時期だと早い方ですね。素晴らしいです。

>まさに私が東京文化会館でベームのフィガロを聴いて大感激した年です。

僕は田舎でテレビ鑑賞でした。当時はオペラは僕にとってはまだまだ敷居が高く、「フィガロ」ですらじっと聴いてられませんでした。人見でのベートーヴェンはしっかり聴いておりましたが、あの頃は晩年のベームのベートーヴェンの凄さがまったくわかりませんでした・・・。トホホ
http://classic.opus-3.net/blog/?p=4410

>シューマンとは青春の音楽だ

同感です。

>今まで聴いたこともないワーグナーに、50代で突然心底惚れこむことなど到底不可能
>若いころの貯金が生きている証なんでしょうね。

はい、今となっては40年近く前にクラシック音楽に出逢い、それなりのお金と時間をかけて来て良かったです。昨日の公演でも、当然休憩なしですから2時間半もたず、中座される年配の方が結構多かったように思います。もったいないと僕なんかは思いますが、若い頃の貯金がないとやっぱり無理そうですね。

返信する

岡本 浩和 へ返信するコメントをキャンセル

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください

アレグロ・コン・ブリオをもっと見る

今すぐ購読し、続きを読んで、すべてのアーカイブにアクセスしましょう。

続きを読む