カザルス指揮マールボロ音楽祭管 モーツァルト 交響曲第35番ニ長調K.385(1967.7.30Live)ほか

日本にまつわるパブロ・カザルスのエピソード。

一方、カザルスは日本からの招聘をことごとく断っていた。日本政府がスペインのフランコ政権を承認していたからだ。とはいえ彼の高弟である平井丈一朗の凱旋公演に花を添えるためならと、1961年4月に84歳の高齢を押して亡命先のプエルトリコから特別に来日した。平井は恩師カザルスが指揮する東京交響楽団との共演で、ドヴォルザーク、シューマン、ラロ、ボッケリーニの四大チェロ協奏曲を二晩で演奏し、華々しいデビューを飾った。
この機会にカザルスは東京・有楽町の朝日講堂で、日本人チェリスト11人に特別公開レッスンを行った。京都も訪れ、京都市交響楽団を指揮した。曲目はドヴォルザークのチェロ協奏曲で、愛弟子がソリストを務めた。平井はインタビューでカザルスの教え方について質問され、「音楽は楽譜から始まったものではなく、音楽を楽譜に書いたものだから、楽譜に書いてある通りではいけない。楽譜から離れて非常に自由にならなくてはいけない」という師の言葉を紹介した。カザルスは東京・文京公会堂で4百人の子どもの合奏に迎えられるなど、最初で最後の日本滞在中、行く先々で熱烈な歓迎を受けた。

フランソワ・アンセルミニ+レミ・ジャコブ著/桑原威夫訳「コルトー=ティボー=カザルス・トリオ 二十世紀の音楽遺産」(春秋社)P192

カザルスの箴言。
これは「真理と教え」の違いと同義である。
目に見えない音楽を後世に伝えるために発明されたのが楽譜というもの。
音楽にはイマジネーションを必要とすることが明らかだ。

さすがにカザルスの指揮するモーツァルトは別格だ。
「楽譜に忠実」という風潮に抗うかのような、現代では聴くことのできない、絶妙なニュアンスを伴ったカザルス版モーツァルトがここにある。独特のアゴーギク、テンポ設定などなど、そして(現代の技術レベルと比較して)ほとんどアマチュアではないのかと思わせるオーケストラの響きを含め(録音そのものの甘さもあるかも)驚くべき表現が詰まっている。しかしながら、ここにこそ真実がある。文字通り「楽譜から離れた非常に自由な」モーツァルトがある(特に「リンツ」!!)。

カザルスのモーツァルト「リンツ」交響曲を聴いて思ふ カザルスのモーツァルト「リンツ」交響曲を聴いて思ふ

モーツァルト:
・交響曲第35番ニ長調K.385「ハフナー」(1967.7.30Live)
パブロ・カザルス指揮マールボロ音楽祭管弦楽団
・交響曲第36番ハ長調K.425「リンツ」(1959夏Live)
パブロ・カザルス指揮プエルト・リコ・カザルス音楽祭管弦楽団

強いて表現するなら「疾風怒濤」のモーツァルト!

年齢を重ねるにつれ、より自然体の表現に昇華されて行くカザルスのモーツァルト。
後期6大交響曲のなかでも「ハフナー」交響曲は、堂々たる堅牢な土台の上に推進力の高い、豊かな演奏。

晩年のカザルスの心境を投影する第1楽章アレグロ・コン・スピーリトが特に素晴らしい。
第2楽章アンダンテの癒し、そして、剛毅な第3楽章メヌエット、終楽章プレストにおいては時に(いかにもモーツァルトのスタイルを逸脱したかのような)ティンパニの轟音が花を添える。

カザルス指揮マールボロ音楽祭管のモーツァルト「プラハ」K.504(1968.7.14Live)を聴いて思ふ カザルス指揮マールボロ音楽祭管のモーツァルト「プラハ」K.504(1968.7.14Live)を聴いて思ふ

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