
天才さえあれば、バッハのように深い境地にいても、モーツァルトのように高い境地にいても、ベートーヴェンのように深さと高さをあわせたところにいても、どんな形で現われようと、めったに見損われることはない。— フロレスタン
~シューマン著/吉田秀和訳「音楽と音楽家」(岩波文庫)P49
ふくよかなチェロの音色に癒される。
バッハの音楽宇宙の普遍性。極限まで削ぎ落したなかにある旋律の美しさ、リズムの饗宴、そして和声の三位一体。天才だ。
シュタルケルはバッハの無伴奏組曲を幾度も録音しているが、ウォルター・レッグのプロデュースによるEMI録音の温かな音が実に素晴らしい。
現代では考えられない、それぞれの組曲に多大な時間をかけての録音であるがゆえの整理整頓されたバッハの逸品。気品に満ち、馥郁たる響きは、30代前半という若きシュタルケルのチャレンジ精神を刻印する。
大いなる安息を感じさせるのは、モノラル録音であるがゆえだろうか。
1曲1曲に思いが籠る。
特に優れているのは、祈りの念激しい第2番ニ短調だ(一日で録音を終えている!)。
第1曲前奏曲、第2曲アルマンドはもちろん、第3曲クーラントも、第4曲サラバンドも実に哀感に色塗られ、胸が締め付けられるほどの感動を覚える(大戦末期の3ヶ月間、両親と共に強制収容所暮らしを強いられたという個人的体験の反映かと思われるほど)。
意志は現実化する。
演奏家にとって音楽は意志そのものだろう。
バッハのこの組曲の中に、シュタルケルの人生の喜怒哀楽すべてが感じ取れるのは僕だけか。
そして、第3番ハ長調の第1曲前奏曲にも思わず耳を傾けた。何と美しい音楽であることか。
シッダールタは歩み行く一歩ごとに新しいことを学んだ。世界が変り、彼の心が魅せられていたからである。太陽が森の山々の上にのぼり、はるかなシュロの浜べに沈むのを見た。夜空に星が整然と並んでいるのを、利鎌のような月が青い水の中の小ぶねのように浮かんでいるのを見た。彼は、樹木を、星を、動物を、雲を、にじを、岩を、雑草を、花を、小川を、川を、朝の草むらにきらめく露を、青く薄青く連なるはるかな高い山を見た。小鳥は歌い、ミツバチはうなった。風は田のおもてを銀色に吹いた。そのすべてが、多様多彩で、常に存在していた。常に太陽と月が照っていた。常に川はざわめき、ミツバチはうなっていた。
~ヘルマン・ヘッセ/高橋健二訳「シッダールタ」(新潮文庫)P59-60
バッハの音楽は自然を喚起する。
ただただ無心でそこにあることを呼び覚ます。
ヤーノシュ・シュタルケルの名演奏。
