
1809年10月14日に講和条約が結ばれた。ヴィーンの各要塞の破壊が条件であり、それは16日に開始された。そして11月20日にフランス軍はようやくヴィーンから撤収する。その4日前、16日がヴィーンにおけるフランス語オペラの最終公演であった。疎開していた貴族たちもヴィーンに帰還し始めるが、ルドルフ大公がヴィーンに戻ったのはかなり遅く、大公に献呈した《告別》ソナタ校閲筆写譜(第2・3楽章のみ)の冒頭にあるベートーヴェン自身による書き込みは「ヴィーン、1810年1月30日、大公殿下の帰還に際して」となっている。
~大崎滋生著「ベートーヴェン像再構築2」(春秋社)P740
戦時下、多くの貴族が疎開する中、ベートーヴェンは年金もままならず、不安の時をすごしていたことが、その書簡からわかる。それゆえにルドルフ大公の帰還がどれほど彼に喜びをもたらしたことか。
私の生計はゆるい根拠に基づいており、この短期間に私はなされた約束が本当に進行するとは私はまだまったく思っていません—キンスキー侯からはまだ一文も受け取っていません。—いまは多くの人が欠乏している時です—この先どう経過するかわかりません—居所の変更は私にも差し迫っているかもしれません—軍税が本日の日付で始まりました—なんというぶち壊された混沌たる人生か、轟く大砲だけの、人間の途方もない悲惨。
(1809年7月26日付、ブライトコップ&ヘルテル社宛)
~同上書P740
ベートーヴェンの心の声。
今も昔も変わらない戦争の悲惨。
ルドルフ大公に献呈された(作品に自らタイトルを付した)「告別」ソナタこそ、まさに当時のベートーヴェンの心の内の吐露であり、その音楽表現であったことは間違いない。
一切の衒いのない、とてもオーソドックスな演奏に安心感がある。
(それこそ中学生時代、最初に買ってもらったレコードの1枚が22歳のポミエによるポピュラー・ピアノ名曲集だった)
思い入れのあるピアニストのベートーヴェンに興味をもった僕は、このソナタ全集も座右において繰り返し聴いているけれど、「告別」ほか、中期のベートーヴェンの可憐なソナタのそれぞれが実に沁み入るのである。
ベートーヴェンにとってルドルフ大公の存在がどれほど大きいものだったか。
草稿には、第1楽章「告別」、第2楽章「不在」、第3楽章「再会」と書き込まれているが、ドラマのような、暗から明への変化をポミエはベートーヴェンへの敬愛をもって、一点集中で演奏する(多大な熱量に感服する)。
ベートーヴェンは内省する。第1楽章アレグロにみる不安と希望の錯綜。そこには大公への信頼が刻まれる。ポミエの表現も文字通り「暗と明」の一体だ。
続く第2楽章アンダンテ・エスプレッシーヴォの安息。
そして、感情の爆発たる第3楽章ヴィヴァチッシマメンテの愉悦。人との再会こそ人間の最大の喜びの一つだといわんばかりにポミエは弾ける。名演だ。







