
「音楽―未解決の問い」
グスタフ・マーラーの第9交響曲に関する講義
数年の休止の後、苦悩するマーラーに感化された私は、ハイドンとモーツァルトから始まった偉大な交響曲の円弧の最後の定点がマーラーだと直感しながらあらためてスコアを手に取った。ドイツ=オーストリア音楽史全体を自身の恐るべき方法で要約し、再び結びつけることがマーラーの宿命だったことを悟ったのだ。
しかしながら、私が仕事を再開した時、特に終楽章において予想以上に多くの解答を見出した(偉大な作品の研究をするといつもそういう結果になる)。最も驚くべき、そして重要な答は、(当時から世紀全体を照らし出すものであり)次のようなものだった。
私たちの世紀は「死の世紀」であり、マーラーはその音楽的予言者であったということだ。このことについて、ピアノもなく、視覚的資料もない、これまでと少し違った方法でお話ししよう。マーラーの第九は私たちに、「20世紀の危機」と呼んできたものの無限に拡大された解釈を示しているのである。
私たちの世紀はなぜこれほど死を意識するのだろう?
他の世紀についても同様のことが言えないのか?
その通りだ。
何世紀にもわたる人類の歴史は、生き残るための闘い、死の問題に取り組んだ長い記録の一つである。とはいえ、人類は地球規模の死、つまり絶滅という問題に直面したことはこれまで一度もない。そんなことを考えていたのは、マーラーだけでなく、フロイトやアインシュタイン、そしてマルクスらも同じように考えていたのだ。あるいは、シュペングラー、ヴィトゲンシュタイン、マルサス、レイチェルカーソンもそうだった。彼らはそれぞれ現代のイザヤ、ヨハネであり、それぞれが異なる言葉で同じことを訴えかけている。
「自らの内側を見よ。黙示録はまもなくだ」と。
また、リルケも「人生を変えよ」と言っている。
20世紀は端からあまりにひどい茶番のようなものだった。
第1幕:貪欲さと偽善が大量虐殺の世界大戦を引き起こす。戦後の不正とヒステリー、流行は衝突と独裁国家の誕生。
第2幕:またしても貪欲と偽善が大量虐殺の世界大戦を引き起こす。戦後の不正とヒステリー。流行は騒音と独裁国家。
第3幕:貪欲と偽善(私はこれを続ける勇気がない)。
では、解毒剤は何だったのだろうか?
実証主義、実存主義、技術革新、宇宙旅行、現実への欺瞞、そしてあらゆる場所に高度に文明化された偏執狂。個人的な解毒剤は、忍耐、麻薬、サブカルチャーとカウンターカルチャー、興奮、そして二日酔いだった。時間を浪費しての金稼ぎ、グルからビリー・グラハムに至るまで伝染病のように広がる新興宗教。
1908年の時点でこれらすべてを念頭に置いて、あなたなら何をするだろう?
もしあなたがマーラーのようにセンシティブならばどうするのか?
他の誰かが彼と同じ道を辿るであろうことを予言するかもしれない。
シェーンベルクとストラヴィンスキーは、音楽を進化させ、破滅の日を避けるため、正反対の方法で戦いながら生涯を過ごした。20世紀のあらゆる作品は、絶望や反抗、あるいはその両方の中から生まれたのだと言えよう。サルトルの「嘔吐」、カミュの「異邦人」、ジッドの「贋作師」、ヘミングウェイの「フィエスタ」、マンの「魔の山」あるいは「ファウストゥス博士」など考えてみよ。また、ピカソの「ゲルニカ」、キリコ、ダリ。
そして、映画「甘い生活」、戯曲「ゴドーを待ちながら」から、オペラ「ヴォツェック」、「ルル」、「モーゼとアロン」、ブレヒトの「母なる勇気」、そしてもちろん「エリナー・リグビー」、「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」、「シーズ・リービング・ホーム」。これらはすべて絶望から生れ、死に動かされて作られた傑作たちだ。
マーラーはこれらすべてを予見していた。だからこそ彼は20世紀に生きることに必死の抵抗を示したのだ。死の世紀、信仰の終末などなど。1911年の早すぎる死によって、結果的に彼は20世紀から免れたが、それは皮肉ともいえる事実だった。
マーラーのメッセージは実際彼のあらゆる作品に感じ取れるものだ。「亡き子を偲ぶ歌」、「リュッケルト歌曲集」、マーラー自身の子どもの死。マーラー未亡人アルマは、アルバン・ベルクの「ヴォツェック」とヴァイオリン協奏曲を愛し、娘のマノン・グロピウスを愛していた。そう、すべては死とつながっているのだ。1935年のヴァイオリン協奏曲はベルクの最後の作品になった(彼はマーラーと同じ年、50歳で亡くなる)。
青年ベルクがマーラーの第九の演奏会に行ったとき、彼はウィーンにいる妻に「人生で最も重要な音楽を聴いたばかりだ」と書き送っている。
私がウィーンで、ナチスによって何年も禁止されていたマーラーの作品を演奏しようと闘っていたとき、高齢のベルク夫人は、リハーサルのたびに喜びの表情を浮かべ客席に座っていた。彼女とはまもなく知己を得、彼女はベルク、シェーンベルク、マーラーをつなぐ架け橋となってくれた。ニューヨークでのマーラー音楽祭のリハーサルに参加してくれたアルマ・マーラーも同様だ。そういう体験をしながら、私はマーラーの真のメッセージを受け取れるようになったのだ。
今日、私たちはマーラーのメッセージが何であったのかを知っている。
そのことを私たちにもたらしたのが、第九交響曲だったのだ。
それは不吉なメッセージであったがゆえに世界は聴くことを恐れた。これこそ、マーラーが死後50年間無視され続けた真の理由だ(この音楽は長すぎる、難しすぎる、大げさすぎるといういつも聞かされる言い訳は嘘)。
若きレナード・バーンスタインのマーラーにまつわる講義の抜粋、抄訳である。
1997年のザルツブルク音楽祭のハイティンク指揮ウィーン・フィルのコンサートで配布されたプログラムから引用、拙訳)。
今となっては少々古い解釈である感は否めない。
しかし、マーラー・ブームの火付け役となったバーンスタインの言葉は重い。
・マーラー:交響曲第9番ニ長調
レナード・バーンスタイン指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(1971Live)
ベルリン・フィルハーモニーでのライヴ。
もう何十年も前から鑑賞してきたこの映像が、4KでYoutubeにアップされているという奇蹟(大袈裟!)。言葉にならない感動がここにある。超絶名演奏!!

