アラウ シューベルト ピアノ・ソナタ第18番ト長調作品78 D894(1990.11-12録音)

確か採り上げるのは3回目かと思う。
クラウディオ・アラウが亡くなった直後だったか、ファイナル・セッションと題するアルバムが数種リリースされ、すぐさま手に入れ、聴いたとき、僕はそのすべての録音に衝撃を受けた。シューベルトの第18番のソナタもあまりに深遠な表現でとても感激した。

アラウのシューベルト ソナタト長調D.894ほか(1990.11&12録音)を聴いて思ふ アラウのシューベルト ソナタト長調D.894ほか(1990.11&12録音)を聴いて思ふ 美しきシューベルト 美しきシューベルト

彼のソナタはくだくだしく論じなくとも、3つともみんな「素晴らしい」の一言につきるのだが、中でも幻想ソナタは形式といい、精神といい、彼の作品のなかでも完璧をきわめたものだと思う。万事が実に有機的で、渾然たる生命に生きている。その謎を解く想像力のないものは、最終楽章には手をふれない方がいい。
(ロベルト・シューマン)
シューマン著/吉田秀和訳「音楽と音楽家」(岩波文庫)P97

長尺の、いかにもシューベルトらしい、いつ終わるとも知れぬ魔法のピアノが、暗鬱な響きをもって語り掛ける。そこではアラウの想像力がものを言う。

・シューベルト:ピアノ・ソナタ第18番ト長調作品78 D894(1826)
クラウディオ・アラウ(ピアノ)(1990.11.24-12.2録音)

第1楽章モルト・モデラート・エ・カンタービレ(18分51秒)

第2楽章アンダンテ(11分28秒)

第3楽章メヌエット(アレグロ・モデラート)(5分09秒)

第4楽章アレグレット(9分37秒)

スイスはラ・ショードフォンでの録音。
何と内省的な音楽であることか。
自らの本性を省み、光を廻らせ、外へ照り返し、放出せんとする大いなる意思。
好き嫌いあろうが、35年を経た今も燦然と輝く名演奏だと個人的に思う。
シューベルトにしては重過ぎるきらいもあるが、最晩年の至高のソナタはこれくらいの思念を込めて歌うのも大いにありだ。

シューベルトの独創性は、多分器楽曲よりも歌曲の方に、一層よく発揮されているのだろうと思うが、僕らは彼の器楽曲をも、純粋に音楽的で、かつそれ自身で独立したものとして、歌曲に劣らず高く評価している。ことにピアノの作家としての彼は、ほかの作曲家はもちろん、ベートーヴェンをさえ凌駕している(もちろんベートーヴェンが聾だったにもかかわらず幻想の力で、あれほど精密に聴いたということは驚嘆に値するけれども)。そのわけはほかでもない、彼がピアノをピアノらしく取扱うことを知っていた、いいかえれば、その音がすべてピアノの深い根底から響いてきたからであって、これがたとえばベートーヴェンの曲になると、音色をまずホルンとかオーボエ、その他に借りてこなければならないのである。—そのほか、彼の創造の内面一般について何かいうとしたら、次のことがいえるだろう。
シューベルトは、最も細かい感情や思想から、外部の事件や生活の境遇についても、音を持っていた。人間の念願が幾千という形をとるように、シューベルトの音楽もまたそれと同じくらい多様を極めている。彼の眼に映ずるもの、彼の手にふれるものはことごとく音楽にかわる。

~同上書P98-99

シューマンは、ベートーヴェン以上のものをシューベルト最晩年のソナタに見る。
(間違いなくベートーヴェンの後期ソナタに匹敵する内容だ)

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