グールドの「ジークフリート牧歌」

gould_siegfried_idyll.jpg最晩年にグレン・グールドが指揮した「ジークフリート牧歌」を聴いていると、わずかその録音から1ヶ月も経ないうちに天に召されてしまうこのエキセントリックな天才が、いかにワーグナーに精通し、もしその後も命を永らえることができていたとするなら、かつてのアルフレッド・コルトーさながら、否それ以上にワグネリアン指揮者として絶大なる信用を勝ち得たのではないかと想像に難くなく、真に残念でならない。
かのクナッパーツブッシュが例のミュンヘン・フィルとの録音に19分を要しているこの音楽に何とグールドは24分30秒もの時間をかけて綿密に、そして念入りに料理し、しかも決してだれることなく我々聴く者たちにしっかりと「ワーグナーらしさ(あるいはグールドらしさ)」を印象づける名演奏を繰り広げてくれるのだから、なおさら指揮者としての彼の才能をこれ以上耳にすることが適わなかったことが悔やまれる。

13楽器のオリジナル版による「ジークフリート牧歌」は、晩年のワーグナーによって個人的な、極めてプライベートなものとして書かれたものだが、それだけにこの演奏は心に染み入る温かさと小音量ながらの「恋人への囁き」にも似た内省に溢れた傑作として我々の記憶にいつまでも残るものであろう(その割にはあまり有名にならないのはどういうことなのか?)。グールドは奇人変人として知られ、生涯を独身で過ごした。人生の中で伴侶を得ず、異性との接触を極端に嫌った彼がまるで恋人に送るラブレターの如くに演奏したという事実がとにかく奇異である。それはグールド自身が作曲した作品1の弦楽四重奏曲にも通ずる。どういった経緯で書かれたものなのかは、詳細に調べてないゆえわからない。ただ、一聴、愛する人に宛てた恋文のように思える(聴こえる)音楽なのである。いや、「愛する人」であるなら対象は恋人とは限らない・・・。そう、お母さんでもお父さんでもいい・・・。いずれにせよ、こちらもグールドにとって最も大事であった人のために書かれたであろう極めてプライベートな音楽なのである。2つの「個人的な」楽曲を、そういうつもりで心して聴いてみると、グレン・グールドという稀代のピアニストの「心の叫び」が聴こえてくるようであり、大袈裟ながらG.G.の魂の記録として後世に残したいアルバムのひとつであると僕は思うのだ。

グレン・グールド:弦楽四重奏曲作品1
ワーグナー:ジークフリート牧歌(13楽器によるオリジナル版)
ワーグナー:「神々の黄昏」~『夜明けとジークフリートのラインへの旅』(グールド編曲によるピアノ版)
シンフォニア弦楽四重奏団
グレン・グールド指揮トロント交響楽団のメンバー
グレン・グールド(ピアノ)

『夜明けとジークフリートのラインへの旅』もグールドならではの録音。やはり彼はワーグナーに心酔している。こういう音楽は実演に接しないことには正確なコメントをしようがない。公開演奏を破棄したグールドについてはその可能性、あるいは余地が皆無だったゆえ今さらだが隔靴掻痒。

朝から「かんたんベジ・キッチン♪」。その後、池袋にてOZAWORLD君と歓談。転職が決まったのだと。おめでとう。そして、夜は東京駅地下街にて名古屋から上京された雅之さんとサシ飲み。ブログ上でほぼ毎日会話を交わしているようなものだから、久しぶりという感じはしないが(笑)、バーチャルでないコミュニケーションはとても大切だ。楽しかった。ありがとうございます。

8 COMMENTS

畑山千恵子

グールドといえば、没後25年の2007年、レナード・バーンスタインと並ぶ才人と言われ、親友でも会った20世紀アメリカを代表する作曲家の1人、ルーカス・フォスの夫人で画家コーネリアさんとの恋愛関係が明らかになり、「音楽の友」2007年10、11月号で「グレン・グールドの秘密の生活」として公表されました。
この恋愛関係はグールドがコーネリア夫人に結婚を申し込み、コーネリア夫人は子供たちと共にトロントへと移り住んだことから始まりました。しかし、グールドのパラノイア・フォアビア症候群がもとで恋愛関係は破綻、コーネリア夫人と子供たちはフォスのもとへと帰っていきました。諦めきれぬグールドはフォスの別荘に押しかけたり、電話をかけたりしてコーネリア夫人に戻ってきてもらおうとしても、コーネリア夫人は応じませんでした。
コーネリア夫人の語り口にはルーカス・フォスの大きな愛を捨て、グレン・グールドのもとへ走っていった事への罪悪感も感じられました。こうした恋愛しかできなかったことにグールドの悲劇があります。結局、グレン・グールドはルーカス・フォスの家庭を壊すようなことをしでかしてしまいました。こうした過ちを犯したことからしても、グレン・グールドの生涯最大の汚点と化したことも事実です。
グールドはその前後にも何人かの女性と恋愛関係にあり、それらを裏付ける資料も残っています。結局、薬物依存が進み、50歳で悲惨な死を遂げました。フォスも2月1日、86歳でコーネリア夫人、子供たち、孫たちに看取られ、安らかな死を迎えました。グールドの死と比べるとあまりにも対照的ですね。

返信する
岡本 浩和

>畑山千恵子様
こんばんは。
貴重な情報をありがとうございます。グールドについては僕もそれほど綿密に追っているわけではなく、いただいた情報に関しては知りませんでした。
てっきり僕は人間恐怖症、女性恐怖症で、一切のそういう関係を持たなかったのだと誤解しておりました。
>諦めきれぬグールドはフォスの別荘に押しかけたり、電話をかけたりしてコーネリア夫人に戻ってきてもらおうとしても、コーネリア夫人は応じませんでした。
となると、彼は完璧なアダルト・チルドレンであり、今でいうところのストーカー的な行動をとっていたのですね。
>その前後にも何人かの女性と恋愛関係にあり、それらを裏付ける資料も残っています。
なるほど、これは少し勉強してみたくなりました。グールドの女性関係にまつわる顛末など情報をお持ちのようでしたらご教示いただきたく存じます。よろしくお願いいたします。

返信する
畑山千恵子

この恋愛関係はオットー・フリードリック、ピーター・オストウォルド、ケヴィン・バザーナの伝記で事実として伝えられてきました。その当時、まだ、コーネリア・フォス夫人はこの事実を認めた上でインタビューなどには応じていませんでした。「音楽の友」に出たものは2007年8月25日付けのカナダ、トロント・スター紙に出たものを鈴木圭介さんの日本語訳で公表したものです。原文はインターネット上でも読めますので、ぜひ、読んでみてください。フリードリック、オストウォルド、バザーナの伝記も合わせてお読みくださることもお勧めいてします。
グールド関係の資料はカナダの首都オタワのカナダ国立図書館音楽部門に所蔵されています。ですから、カナダへ行かれる際、カナダ国立図書館音楽部門のグールド・アーカイヴで閲覧されることをお勧めいたします。
私は、2011年、日本音楽学会で「グレン・グールドの真実--恋愛と病」と言うタイトルでこの恋愛をはじめとするグールドの恋愛の全体像、グールドの生涯全般にわたって重要な病である心気症が精神障害へ進行したこと、それが薬物依存による死を招いたことを取り上げていくことにしています。そのためにもアメリカ、カナダへ行きたい所ですね。

返信する
岡本 浩和

>畑山千恵子様
こんばんは。
懇切丁寧なご回答ありがとうございます。
ご紹介の記事の原文も探して読んでみます。なお、カナダへの渡航予定は今のところありませんが、機会がありましたらグールド・アーカイヴも行ってみたいです。
2011年の日本音楽学会での「グレン・グールドの真実-恋愛と病」というご講演も興味深いですね。これは一般の人間でも聴講は可能なんでしょうか?

返信する
畑山千恵子

日本音楽学会は一般の方々も聴講できます。ただ、全国大会も聴講できますが、有料になり、会員より割高になりますのでご注意ください。
確かに他人がとやかく言うことではないでしょうし、いいとこ取りという人もいますね。人さまざまだな、と思います。
グールドの生涯を見ると、生涯にわたる心気症、薬物依存と言った所はよく言われます。また秘密主義、コンサートからの引退、精神障害、薬物依存について、私は母親から自立できなかったことから来た社会不適応という見解に立っています。なぜか。母フローレンスは42歳でグレン・グールドを出産、ピアニストにすべく育てました。しかし、あまりにも過保護な養育態度でしたから、母親から完全に自立できませんでしたし、人に心を開けませんでした。
グールドの心気症はパラノイア、フォアビア症候群といった精神障害に進行し、晩年のすさまじい薬物依存を引き起こし、死を招いてしまったといってもよいでしょう。1959年、グールドが1人暮らしを始めた時にもパラノイア症候群が現れていたようです。この時、オストウォルドが医師の診察を受けるように忠告したものの、グールドは無視してしまいました。それがコーネリア・フォス夫人と恋愛関係にあった時にパラノイア・フォアビア症候群が現れ、恋愛関係も破綻してしまったと言うことになりました。

返信する
岡本 浩和

>畑山千恵子様
こんにちは。
ご回答ありがとうございます。予定を合わせてご講演を聴講させていただきたいと思います。
>私は母親から自立できなかったことから来た社会不適応という見解に立っています。
なるほど、私も同じような見解を持っています。僕は本業ではヒューマンスキルに特化したセミナーを長年やってきましたが、精神疾患の原因の多くが母親(または父親)との関係にあるのではないかと考えております。何千人という若者に接して、そしてそれぞれの生育歴を掘り下げて聞いてみて感覚的に推測しているだけですので、学術的な論拠には乏しいのですが・・・。
母子関係が恋愛関係に及ぼす影響というのは大変なものがありますね。

返信する
畑山千恵子

今、マイケル・クラークソン「グレン・グールドの秘密の生活--天才の愛」の翻訳に取り掛かっています。ただ、6月12日、日本音楽学会、関東支部定例会での発表準備もあって、バランスを取って進めています。発表が終わったらペースを上げていきます。この4月に出たばかりですので、早く、訳を完成させて、出版社へ持ち込むことにしています。
私は、クラークソン氏とメールを交換していましたものの、インターネットの関係でできなくなってしまい、残念です。クラークソン氏にも私の見解を伝えています。他にも、「3本脚のロマンス」の著者ケイティ・ハフナー女史ともメールを交換していまして、ハフナー女史はもとより、宮澤淳一さんにも見解を伝えています。

返信する
岡本 浩和

>畑山千恵子様
ご無沙汰しております。
興味深い翻訳ですね。
出版の暁にはぜひ読ませていただきたいと思います。

返信する

コメントを残す

This site uses Akismet to reduce spam. Learn how your comment data is processed.

アレグロ・コン・ブリオをもっと見る

今すぐ購読し、続きを読んで、すべてのアーカイブにアクセスしましょう。

続きを読む