歴史の分岐点

schubert_great_bernstein_aco.jpg自分の能力を過信して、いや、能力以上のことを無理して(背伸びして)遂行しようとすると必ずしっぺ返しに遭う。分相応、身の丈をわきまえて、エゴに走らず(そういう行動をとる人の大半はそれが「エゴ」だとは気づいていないところがこれまた手に負えない)、「あるがまま」に身を任せ・・・。

リーマン・ブラーザーズが破綻して早くも1年を迎える。ウォール街では反省の色さえ見えず、一部の金融関係会社が投機的な動きを復活させているようで、バラク・オバマ大統領が演説の中でそういう動きに対する忠告、釘を刺す光景が放映されていた。
反省だけなら猿でもできるというが、反省すらできないのが「人間」かもしれない。歴史は繰り返す。歴史こそ人間が作り出すものであり、同じ「過ち」を性懲りもなく繰り返さぬよう「原点」、すなわち「自然」に戻ってもらいたいものである。

ところで、時はバブル期の80年代、バーンスタインの新録音がリリースされる度、狂喜乱舞しながらそれらを買い漁っていた頃が懐かしい。ともかくレニーがレコーディングしたものならどんなものでも買い求めていた。それに最晩年のバーンスタインの録音はほぼどれもが個性的で、当時の僕の最高の好みであり、僕にとっていつ何時耳にしても感動させられる、そういう芸術家の最右翼だった。ただし、個性的というのは一方で恣意的ということと同義語であり、中にはそういう僕でも受けつけない「不自然」な流れをもつ駄演もあったことは否めない(ドヴォルザークの「新世界」など)。

シューベルト:交響曲第9番ハ長調D944「ザ・グレート」
レナード・バーンスタイン指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団

理想的、完璧な演奏。僕はそれまでフルトヴェングラー盤を「ザ・グレート」の唯一無二の絶対的音盤として崇め祀っていた。もちろんそれ以外の演奏を完全否定していたわけではない。まだまだ若輩でありながらそういう僕の「狭い了見」の中に突如この音盤が分け入ってきた。音質が圧倒的に良い分、かのフルトヴェングラーを上回るのではないかと一時期この演奏ばかりを聴いていた。88年の演奏にもかかわらず、バーンスタインのシューベルトの長所は、あくまで「自然」であり、「あるがまま」であるということ。ある意味、これほどまでにこの時期のバーンスタインらしくない演奏は珍しいのではなかろうか。テンポを引き摺るように遅くし、しかも無用な繰り返しを「楽譜通りに」という信念の下、60分以上をかけて全曲演奏する朝比奈隆の流儀には正直閉口したものだが、50分余りという理想的な演奏時間で駆け抜けるこの音盤の価値は計り知れない。

ちなみに、同じ時期に録音された同楽団との「未完成」&第5番の演奏も実に素晴らしい・・・。


2 COMMENTS

雅之

おはようございます。
昨夜日付が変わるころ、やっと自宅に戻りました。月曜日は、ご多忙な中、ありがとうございました。今回も、とても楽しいひと時でした。やはり文章だけでなく、何事によらず会って直接会話をするということは、人間同士のコミュニケーションとして重要ですね。
ご紹介のバーンスタインの「ザ・グレート」、私もフルトヴェングラーやケンペ盤と並んで大好きです。この曲、演奏によって聴いた印象が凄く変わりますよね。
月曜日の会話の流れから、今朝の私の対抗お薦め盤は、ジュリーニ&バイエルン放送響のCDにいたしましょう!
http://www.hmv.co.jp/product/detail/1080839
余計なこと言いませんので(笑)、騙されたと思って、とにかく一度聴いてみてください!

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岡本 浩和

>雅之様
おはようございます。お疲れ様でした。
ほんとに直接会って会話するというのは大切ですね。楽しかったです。
>この曲、演奏によって聴いた印象が凄く変わりますよね。
ほんとにそうですよね!最後までもたない(聴けない)演奏が結構多いんです。
ご紹介の盤は未聴なので、この流れで聴いてみます。
ありがとうございます。

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