「愛」と「勇気」と「一」

クラシック音楽は人の魅力というか「人間力」を高める効果が何だかあるように思う。
特に純粋器楽曲。言葉とか人間の声というのはどうも「心」にすっと響いてこない。例えば、ドイツ・リート。歌詞はドイツ語である。日本語訳を読み、内容を理解しながら聴いたところで微妙なニュアンスまでは伝わってこない。イタリア歌劇。アリアも台詞もイタリア語だ。同じく感覚の機微までは理解できない。
それでは日本語の歌詞を持つ歌やオペラならいいのか?否、言葉そのものが邪魔をして感覚的に「感じること」ができなくなってしまう。

何だか、言葉というものが「壁」を作ったり、「枠」を設けたりしているのではないか。
今や英語が世界共通語。英語が話せればワールド・ワイドに仕事もできるし、旅行も自由にできる。世界は良くも悪くもアメリカ合衆国に牽引されている。何だかそういう時代になってしまったようである。とはいうものの、日本人で英語が話せない、理解できない人はまだまだ多い。世界の片田舎でももちろんできない人は多数いる。いつぞやハンガリーに旅行したとき、メニューに英語がなく(ハンガリー語とドイツ語のみ)、もちろん店員に英語が全く通じなくほとほと困ったことがあった。
やはり言葉は大きな「壁」である。

閑話休題。
音楽こそは世界の共通語である。そして、何百年という歴史を通じて常に人々に「癒し」や「和み」、時には「浄化」を与えてきたとっておきのコミュニケーション・ツールなのである。言葉の壁を乗り越えて人々に感動を与えることができるのが「音楽」なのだ。

例えば、Happy BirthdayやWedding Marchのメロディーは地球上のどこに行っても通用するだろう誰もが知っている旋律である。誰かに教わったわけでもない。いつの間にか覚えてしまっている分け隔てのない、みんなが気軽に歌える共通語。
誰もが知る音楽を共に口ずさむことで人は一つになる。一つになるとそこに「愛」が生まれる。一つになるには「勇気」が必要なのだが、音楽があれば障害は簡単に乗り越えられる。音楽こそが「勇気」も与えてくれるのである。

「愛」と「勇気」と「一つになる」ことを感じる音楽。それはベートーヴェンの第9交響曲。パッヘルベルのカノン。そして、チャイコフスキーの第5交響曲。僕が感覚的に思うにこれ以外にもたくさんある。

マックス・レーガー:クラリネット五重奏曲イ長調作品146
ヴァレリウス・アンサンブル

レーガーはヘヴィー・スモーカーで大酒呑み、大食いという「不摂生」を絵に描いたような男で43歳という年齢で早死にしている。しかし、作品の数はとても多い。要は、天才なのだ。このクラリネット五重奏曲は晩年に作曲したモーツァルト、ブラームスの同名曲に優るとも劣らない傑作。全編「愛」と「勇気」に溢れている。

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