バルビローリ指揮フィルハーモニア管のエルガー交響曲第1番を聴いて思ふ

elgar_1_barbirolli_po151音楽の専門家の耳にしか聞きとれないような小細工など入り込む余地はなく、最高の意味において大衆的でなければならない。
1871年3月1日水曜日
三光長治・池上純一・池上弘子訳「コジマの日記2」(東海大学出版会)P367

「コジマの日記」に登場する、ハンス・リヒターの放埓な言に対するリヒャルト・ワーグナーの苦言が実に的を射ていて、この世紀の巨人が音楽だけでなくあらゆる学問に精通し、そして深層では多くのことが「わかっていただろう」人間離れした慧眼をもっていたことに舌を巻く。

長らくワーグナーの助手を務めたハンス・リヒターは、彼の大作曲家への奉仕に限らず、広くブラームスやブルックナーなど、名だたるドイツの大交響曲の初演の棒を受け持った偉大な音楽家だった。その彼が、英国においてエドワード・エルガーの最初の交響曲の初演をし、作曲家から感謝の意を込め献呈されていることはこれまた有名な話。

緩徐楽章に関してリヒターはこうコメントしている。「ベートーヴェンが書いた緩徐楽章のようだ」。それは、ベートーヴェン、ブラームス、ワーグナー、ブルックナーといったドイツ音楽演奏の最高権威の口から発せられた最大級の賛辞を意味していた。同じく大指揮者のアルトゥール・ニキッシュはこの曲を「ブラームスの『第5』」とコメントしている。
~水越健一著「愛の音楽家エドワード・エルガー」P88

確かにこのアダージョ楽章の夢見るような幻想的な美しさはエルガーならではで、ベートーヴェンにあった崇高さに比肩するほどのもの。
続いて奏される終楽章レント~アレグロにおける忍び足のように再び登場する第1楽章主題に心動く。後半2つの楽章におけるサー・ジョンの指揮は喜びに溢れ、真に堂々としており、彼こそインテンポをモットーとしたハンス・リヒターによる演奏のようではないのかと空想した。さすがに死の5日前のライヴに比べるとその壮絶さは減退するけれど。

エルガー:
・交響曲第1番変イ長調作品55
サー・ジョン・バルビローリ指揮フィルハーモニア管弦楽団(1962録音)
・序奏とアレグロ作品47
アレグリ弦楽四重奏団
サー・ジョン・バルビローリ指揮シンフォニア・オブ・ロンドン(1962録音)

第1楽章序奏の、エルガーらしい勇ましい行進曲風旋律に心奪われ、主部に入っての第1主題の、メンデルスゾーンにも似た明朗快活な律動に感化される。また、一旦静まっての哀しげな第2主題はエルガーの魂の叫びのよう。

少々冗長なきらいもある交響曲ではあるが、数々の美しいシーンに、やっぱりこの作品は英国を代表する、否、20世紀を代表する傑作だと確信する。何より終楽章コーダの壮大な音楽とその響きに感動。

 

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