haydn_96_walter_vpo.jpg時に全くの静寂の中に身を置きたくなる。否、というよりそういう環境に身を置くことで「自分」というものを振り返り、直視した方が時にはいいのではと思うことがある。しかしながら、今の社会環境では、完全な「無」、あるいは完全な「静寂」など作りようがないから困ったものだ。
例えば、意図して音楽を聴かなくすることは可能だ。そう、いつも散々こき使っている音響装置を休めてあげればいいだけだから。テレビだって、いつもは気になって夜にニュースや多少のバラエティにチャンネルを合わせるが、それに対しても基本的には執着ないゆえスイッチを入れなければいいだけの話。あとは、妻の練習するピアノの音がかそけく流れてくるが、蓋をするわけにもいかず(笑)、いずれにせよこれはまぁ音楽というより環境音のようなもので(実際には間違いなく美しい音楽を奏でているのだが)、特に問題ではない。外は車や工事の音、消防車や救急車の音、都心のど真ん中ゆえ、昼夜問わず雑音、騒音が山のように溢れている。烏の鳴き声だってそうだ。いつの間にかそんな環境音は気にしなくなっている、というより慣らされてしまって気にならないことがある意味恐ろしい。

先日、Dialog in the Darkを体験した時、完全な闇の世界というものを初めて知った。確かに視覚以外の全ての感覚が研ぎ澄まされる気がする。完全な暗闇を作って視覚障害者の疑似体験ができるなら、聾唖者の疑似体験、そう完全な「無音」の世界というのも(不謹慎ながら)体験してみたいものだとふと思った。おそらく空気の存在しない宇宙空間ではそうだろうというような、音楽どころか音の振動の一切ない世界。どんなものなんだろうか。

いつぞや誰かから伺ったが(佐治晴夫先生だったか)、人間は耳から生まれてくるのだと。いや、この言い方は正しくない。受精後最初に形成されるのは聴覚らしい。だから、愛知とし子が主宰する赤ちゃんと子どものための「音浴じかん」などで、赤ちゃんが音に極めて敏感に反応したり、妊婦さんがいらした時には、お腹の中の赤ちゃんが音楽が始まった瞬間に動き出すそうなのだが、これによってその理由がよく理解できる。

そんなことを考えながら、随分前にブログでも採り上げたジョン・ケージの「4分33秒」を思い出した。演奏者が音楽を奏でなくても、人間はいつも「音」を楽しんでいるのだと。そんなようなメッセージが秘められた音楽のない音楽である。あるいは、The BeatlesのRevolution 9。テープに録音された様々な音をコラージュしてJohn Lennonが創り上げたおよそThe Beatlesらしからぬ(いや、あれがまた彼らの可能性を広げているゆえ、らしいといえばらしいのだが)前衛音楽。

今朝妻が問いかけてきた。僕にとって西洋クラシック音楽の魅力って何なの?、と。答に窮した。自己分析が足りないのか(笑)、一言で表現できない。何で僕は毎日のように音楽を聴くのだろう?ロックやジャズの時もあるが、圧倒的にクラシック音楽が多い。楽譜も読めない、もちろん演奏もできないのに、毎日聴かずにいられない。それって何?うーん、これ以上はキリがないので、この問いについてはゆっくり自分史をひもときながら熟慮することにしよう。

ということで、今日はオーパス蔵復刻によるワルター&ウィーン・フィルの交響曲集。

シューベルト:交響曲第8番ロ短調D.759「未完成」
モーツァルト:歌劇「恋の花作り」序曲K.196
モーツァルト:交響曲第38番ニ長調K.504「プラハ」
ハイドン:交響曲第96番ニ長調「奇跡」
ブルーノ・ワルター指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

いずれも1936年~38年の録音。これについては今更僕が何か申すまでもないだろう。


6 COMMENTS

雅之

おはようございます。
>時に全くの静寂の中に身を置きたくなる。
私も同感です。「静寂」「無音」は最高の音楽だと思う時があります。何だか「禅」の境地です(笑)。
そんな時は、クラシックもジャズもロックも一切聴きたくありません。
何も聴かないのが一番ですが、こんなCDを取り出す時もあります。
「納涼 日本の梵鐘」
http://www.amazon.co.jp/%E7%B4%8D%E6%B6%BC-%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E6%A2%B5%E9%90%98-%E7%89%B9%E6%AE%8A%E4%BC%81%E7%94%BB/dp/B00005EO4S/ref=sr_1_12?ie=UTF8&s=music&qid=1256306524&sr=8-12
お寺の鐘の音って、何だか癒されるんですよねぇ(笑)。
もう一枚、
「銅鐸――黄金の鼓動」
http://search.japo-net.or.jp/item.php?id=VZCG-684
こちらは80年代から所有している録音ですが、特にお薦めのCDです。
古代人は現代人と違い、静寂と自然音に包まれていたんでしょうねぇ。いつ聴いても心が落ち着き、悠久の太古に思いを馳せ、至福のひと時を手に入れることができます。
クラシック音楽から足を洗っても、こういうCDだけは手放したくないです(笑)。

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ザンパ

岡本さんおはようございます。
作曲家の芥川也寸志さんがこんなことを言っていました。正確な引用ではないですが「作曲者が音符を消すということは無音の方が価値があると判断したからに相違ない」と
これは僕の座右の銘になっています。音楽というのは無音に打ち勝つ試みであると。人生も一緒何だと思います。かなり相手は手ごわいです。
将棋に「パス」はないけれど、人生に多少の「パス」は許してほしいですよね。

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岡本 浩和

>雅之様
おはようございます。
>「納涼 日本の梵鐘」
>「銅鐸――黄金の鼓動」
>いつ聴いても心が落ち着き、悠久の太古に思いを馳せ、至福のひと時を手に入れることができます。
これまたえらく面白そうなCDをご紹介いただきましてありがとうございます。聴いてみたいです。
煩悩ばかりで、なかなか禅の境地には至りませんが・・・(笑)。

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岡本 浩和

>ザンパ様
おはようございます。
>「作曲者が音符を消すということは無音の方が価値があると判断したからに相違ない」
良い言葉ですね。ありがとうございます。
>将棋に「パス」はないけれど、人生に多少の「パス」は許してほしいですよね。
おっしゃるとおりです。

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まーの

普段の生活では、無音が好きです。
若い頃は、CDの音楽を聴きまくっていましたが
ある年齢になったころから、家では一切音がならない生活に突入しました。
テレビもCDも一切無しです。
新宿の今の家に引っ越してきてからは
外の音が意外とうるさくて、寝ていても、朝起きてグッタリ・・・
音のせいで、頭が休まらない状態のようで、田舎へ行くと
本当に静かでぐっすりと眠れます。
なので、普段も練習なんかで音を一生懸命聴いてたり
日常生活に溢れている音は、頭の中で考えなくても
それで、どうやら疲れてしまうらしく、
音がない状態が、一番、脳を休められる感じなんです。
どうやら、私だけではないようで、
私の友達も、みんな、家では、全然音がならない生活をしているらしいです。
なので、CDをいつも聴くのはいいのですが
たまには、休憩で何もない音の世界をお願いします。
相方さん!(笑)

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岡本 浩和

>まーの
>たまには、休憩で何もない音の世界をお願いします。
相方さん!(笑)
りょーかい。

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