「果報は寝て待て」という諺があるように、やるべきことをやって後は慌てず急がずという姿勢がとても大切だ。僕はもともと暢気な性格で、基本的に焦ることはないが、まさに「急いては事を仕損じる」の言葉通りで、左脳的に動いた瞬間に裏目に事が運んでしまうことがよくある。地道に行動しつつも、計算づくでなく直感的に生きることが重要かな。
暢気とはいえ、やっぱり仕事をすることが好きなようだ。オンオフ、メリハリは明確につけるべきだが、仕事かプライベートかの境界線がわからなくなるほど働いていた時期が長いものだから、何もすることがなくぼーっと過ごさざるを得ない日があるだけで途端に心身が鈍ってしまい、一気に「不安」になってしまう。一種の職業病である。根が真面目だからこれもしょうがないことだろう。ただし、うつ病になるほどの完璧主義者でもないから、「まぁ、いっか」という言葉も頻繁に口を突いて出る。もちろんズルしてるわけではないし、中途半端で投げているわけでもないので、人様に迷惑をかけることは一切ないのだけど。
それにしても誰かのためになっているという実感を持ちながら仕事に携わるというのは誰にとっても必要なことだ。どんな些細なことも愚痴らず感謝と喜びに満ちて。焦らず、ゆるりと参ろう。
「レコード芸術」11月号でコーホー先生が先月のハイドシェックのリサイタルについて批評を書かれていたのを読み、聴いた印象は概ね同じようなものの、全体的に辛口のコメントであることに少々意外に思った。熱愛するハイドシェックをベタ褒めすることなく、とにかく客観的に冷静に聴いておられるのだということがよくわかる。コメントに書かれているように、確かに前半と後半で席を移動されておられたのを僕は確認している。2階右側の、数年前僕がヒューイットの「ゴルトベルク変奏曲」を聴いたであろうあたりの席に陣取って聴かれた後半の感想では、「ひとつひとつの音粒がクリアに立ち、タッチの色が目に見えるように変化する」と書かれているが、それほどまでにホールの座席の位置によって演奏の印象は変わるものなんだ。今更確認することは不可能だが、少なくともヒューイットのあのバッハは最高の体験だった故、先生のご意見も全うなものなんだろう。ホールはまさに生き物なり。
カリンニコフ:交響曲第1番ト短調
ネーメ・ヤルヴィ指揮スコティッシュ国立管弦楽団
随分昔に購入して、一時期好きで繰り返し聴いていたが、しばらく棚の奥に眠っていた音盤。何とも親しみやすく、そのテーマなど一度聴くだけで覚えてしまうほど通俗的なものだが、たまに疲れた頭を休める時などに聴くととても良い効果があるように思える。モーツァルトと同じく35歳の若さで夭折しているヴァシリー・カリンニコフについては残念ながら詳しくない。この交響曲以外の楽曲についても知識はほぼゼロ。あまり深く追究しようとも考えたことがないくらいだから、良い音楽なのだが、それなりといえばそれなりなのかも。
さて、感謝と喜びに満ちたこの音楽に、焦らずゆったりとした気持ちで浸ろうか・・・。
おはようございます。
辛口のコメントで申し訳ないのですが、宇野 功芳さんは今の私にとっては、ああなってはいけないという「反面教師」評論家に過ぎません。80歳近いご老人について、あまり言いたくもないのですが・・・。
第一、バッハの大半の曲も苦手、ショパンもシューマンもブラームスも嫌い、もしくは理解出来ないという人に、アマチュアの戯言ならいざ知らず、クラシック評論の大御所が務まっていること自体が不思議です。悪いですが、失笑・噴飯ものです。
彼の評論は、驕りを感じるところも好きではありません。例えば、ご紹介のレコ芸11月号新譜月評で、ヤンソンス&バイエルン放送響のハイドンの交響曲第104番を、「最近アルトゥスからシューリヒトの55年ライヴが出たが、ヤンソンスと並べてベスト2としたい」などと御託宣を書いておられます。少なくとも私はこの曲、10種類以上の録音は聴いているし、自分でも演奏に参加したり、実演も沢山聴いて感動しており、ヤンソンスのこの録音も好きですが、「ベスト2としたい」などという発言は、どう間違っても私には出来っこないです。宇野さんは、演奏行為の多面性や奥深さに対する見方が甘過ぎます。最長老の吉田秀和さんは、どんなに演奏に感心しても、こういう「ベスト○○」とは絶対書きません。そこには聴く側の謙虚さがあります。
カリンニコフの交響曲について。
>あまり深く追究しようとも考えたことがないくらいだから、良い音楽なのだが、それなりといえばそれなりなのかも。
私は彼の交響曲、第1番も第2番も大好きだし、彼の人生にも興味があり、いろいろ調べておりますので、この岡本さんのご発言にも全然共感いたしません。
手厳しい反論、大歓迎ですよ(笑)。
>雅之様
おはようございます。
辛口コメントありがとうございます。
>宇野 功芳さんは今の私にとっては、ああなってはいけないという「反面教師」評論家に過ぎません。
まったくおっしゃるとおりですよね。少なくとも30年前に初めて氏の文章に触れたときは衝撃的で、随分僕も影響を受けたのですが。昔のような評論に対する熱意が感じられなくなってきているのは事実です。僕の見方が変わったのか、それとも宇野さんの評論に対する姿勢が変わったのか、ご本人にお会いしたこともなく、お話させていただいたこともないので、実際のところどうなのかそのあたりは何とも言えません。
>第一、バッハの大半の曲も苦手、ショパンもシューマンもブラームスも嫌い、もしくは理解出来ないという人
確かにそうですね、これは痛いですよね。
>最長老の吉田秀和さんは、どんなに演奏に感心しても、こういう「ベスト○○」とは絶対書きません。そこには聴く側の謙虚さがあります。
そうですね、これも同感ですね。吉田氏の評論は「決めつけ」がないところに魅力があるのかもしれません。結局先日も話題になったように、音楽は好きか嫌いかだけですからね。十人十色いろいろな感じ方があるものです。
カリンニコフについて。これはもう僕の勉強不足ということですね。反論どころか勉強されている雅之さんにいろいろとご教示願いたいところです。