グールドのバッハ「ゴルトベルク変奏曲」(1955.10録音)を聴いて思ふ

bach_goldberg_gould_195572340分に満たない猛烈なスピードで目くるめく光彩を放つ「ゴルトベルク変奏曲」。
おそらくもう何十回(あるいは何百回?)も耳にしているというのに、久しぶりに聴いて、その人間業とは思えない運指と頭脳明晰な演奏にまたしても舌を巻いた。
バッハの音楽が時空を超え、20世紀的解釈によって蘇生されたおそらく最初の例。録音から60余年を経てもその革新は決して色褪せない。

レッテル貼りやリスト作りは大嫌いだと言いつつ「ヒンデミット―終るのか、はじまるのか」という小論でグレン・グールドはかく語る。

新古典派にとっては、その10年間に「詩篇の交響曲」、「ペルセフォーヌ」、「交響曲」ハ長調をものにしていたストラヴィンスキーがいた。そして、主義、教条に関するさらに極端な論争を避ける選択をした人たちにとっては、それに代わる中道の人たちの穏健な作品が用意されていた。民俗音楽的旋法(バルトーク)、民俗音楽的調性(コープランド)、後期ロマン派の交響曲悲観論(プフィッツナー、シュミット、ベルク―もちろんこれがおかしな組合せであることは承知のうえ)、後期ロマン派の交響曲楽観論(プロコフィエフ、ショスタコーヴィッチ、ウォルトン)、アメリカ的折衷主義(ハリス、ハンソン)、イギリス的孤立主義(ヴォーン=ウィリアムズ)、フランス好みのプラグマティズム(ルーセル、マルタン)、フランス好みの理想主義(メシアン)、ドイツ的プラグマティズム(オルフ、ブレヒト)、ドイツ的理想主義(ヴェーベルン)、それに、忘れないように言っておくと、高齢で、ほとんどどこにも分類できない伝説的なリヒヤルト・シュトラウスがいた。かれの最盛期ははるか過去と、当時はだれも推測できなかったがずっと前方にもあった。
ティム・ペイジ編/野水瑞穂訳「グレン・グールド著作集1―バッハからブーレーズへ」P224

20世紀の多様な音楽事象を見事にカテゴライズする頭脳。かの「ゴルトベルク」はこういう思考の下創造され、シュトラウスの最盛期をはるか過去とずっと前方にあったことを見透かした感性によって生み出された代物なのだ。

・J.S.バッハ:ゴルトベルク変奏曲BWV988
グレン・グールド(ピアノ)(1955.10.14-16録音)

もはや僕は言葉を持たない。
音楽を聴きながら中也の詩を想った。

「冬の夜」~「在りし日の歌」より
みなさん今夜は静かです
薬鑵の音がしてゐます
僕は女を想つてる
僕には女がないのです

それで苦労もないのです
えもいはれない弾力の
空気のやうな空想に
女を描いてみてゐるのです

えもいはれない弾力の
澄み亙つたる夜の沈黙
薬鑵の音を聞きながら
女を夢みてゐるのです

かくて夜は更け夜は深まつて
犬のみ覚めたる冬の夜は
影と煙草と僕と犬
えもいはれないカクテールです
大岡昇平編「中原中也詩集」(岩波文庫)P189-190

強いて言うならこの「薬鑵の音」こそグールドの「ゴルトベルク変奏曲」だ。

 

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4 COMMENTS

雅之

空気よりよいものはないのです
それも寒い夜の室内の空気よりもよいものはないのです
煙よりよいものはないのです
煙より 愉快なものもないのです
やがてはそれがお分りなのです
同感なさる時が 来るのです

空気よりよいものはないのです
寒い夜の痩せた年増女〈としま〉の手のやうな
その手の弾力のやうな やはらかい またかたい
かたいやうな その手の弾力のやうな
煙のやうな その女の情熱のやうな
炎〈(も)〉えるやうな 消えるやうな

冬の夜の室内の空気で聴く 
グールドが弾くバッハよりよいものはないのです

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