先月は事情によりワークショップZEROを開催しなかった。ちょうど2ヶ月ぶりにセミナーの初日を終えたところだが、自分が活き活きとし、内側からエネルギーが充溢してくるのが手に取るようにわかる。とにかく伝えたいと思うのだ。ありのままの自分、それでいいんだということを誰にも知ってもらいたい。そして誰の中にも「可能性」が秘められており、メンタルブロックをはずすことでその「可能性」が格段に拡がり、イメージしたことは必ず実現できるんだということを。
やりたいことはどんなことでも徹底的に追求すれば良い。何かひとつに絞り込む必要もなかろう。ましてやどちらも中途半端にしてはならない。Do your best!
僕がはじめてさだの歌を聴いたのは「雨やどり」だったと記憶する。いや、グレープの「精霊流し」だったかもしれない。いずれにせよ70年代の中頃、まだ鼻水をたらした小学生の頃である。当然歌の内容を完璧に理解して聴いていたわけではない。こんな暗い音楽を年端もいかない子どもが理解できるはずもないが、子どもながらに心に染み入るようなマイナー調の音楽に心が揺れた。
作家の辻邦生氏がこの歌に寄せたエッセーがある。
「先日、久々で『防人の歌』を聞き、魂が星空にのぼってゆくような気持ちを味わった。それは、たしかに悲しみの感情に違いなかったが、試験に落ちたり、友達と喧嘩したり、財布をとられたりする悲しみではなく、もっと深い人間がこの世に在ることから生まれる悲しみなのだった。・・・」
そう、その通りである。さだまさしの歌はどれも概ねストレートに響く「重み」を持っている。その風貌や歌っている時以外の彼の話しぶりからは想像もつかないほどの「深み」があるのだ。
秋桜。
同じく、この歌を歌った三浦百恵氏が言葉を寄せる。
「・・・―笑い話に時が変えるよ 心配いらないと笑った―わが子に支えられて生きてきた母親が小さな勇気を重ねてきて得た言葉なのだと思います。・・・」
さだの歌はただの感傷ではない。そこには奥深い哲学がある。一世を風靡し、一方で自律的な女性たちから総スカンを食らった「関白宣言」にしても、大抵の男が潜在的に持つ「願望」であり、それをああもあからさまに歌ったところが偉大なのである。何より売れたという事実がそのことを証明する。
明日は2日目である。またどんなドラマが生まれるのか・・・。楽しみだ。
こんばんは。
さだまさしは、子供時代ヴァイオリンを習っていてその才能に輝いていたころ、ハイフェッツに憧れていたと、昔ラジオ番組か何かで告白していました。ライナー&シカゴ響とのチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲のレコード
http://www.hmv.co.jp/product/detail/1491445
での演奏を、最高に評価していたそうです。さすがです。この演奏、私も大好きです。
私は高校から大学時代にかけて、タモリに同調していましたので、さだまさしを「ネクラ」と蔑んでいましたが、ブラームス嫌いと同じように、私にしてもタモリにしても、暗いものへの「近親憎悪」がその深層だったのでしょう。
そして、日本人全体が「近親憎悪」により「ネクラ」を極度に忌避し、タモリに同調して、さだをウザい象徴としたあのころから、日本人のメンタリティは明らかに悪いほうに変わりました・・・。さだに心から懺悔したい思いでいっぱいです。
と言いつつ、さだの天敵、高校に時代買って楽しんだ、タモリの傑作CDをおススメしちゃうもんね(爆)。
「タモリ2」
http://www.amazon.co.jp/%E3%82%BF%E3%83%A2%E3%83%AA2-%E3%82%BF%E3%83%A2%E3%83%AA/dp/B000WPD316/ref=sr_1_1?ie=UTF8&s=music&qid=1259411182&sr=1-1
『教養講座「音楽の変遷その1」::旋律の源とその世界的波及について
講師:中州産業大学芸術学部西洋音楽理論 森田一義助教授』
もう最高!!爆笑もの、かつ勉強になりますよ!
(14) ニュー・ミュージック「鰯雲」(さるまたし)・・・、タモリ、何と失礼な奴!! でも好きm(__)m
>雅之様
おはようございます。
ハイフェッツのチャイコいいですよねぇ。僕も好きです。
>私は高校から大学時代にかけて、タモリに同調していましたので、・・・
あの頃のタモリは最高ですね。僕は毎週オールナイト・ニッポンを聞いていました。確かにさだまさしは蔑視されてましたね(笑)(今はどうなんだろう?)。
>さだをウザい象徴としたあのころから、日本人のメンタリティは明らかに悪いほうに変わりました・・・。
おっしゃるとおりだと思います。
中洲産業大学教授!!懐かしいです。最高でした!!
ただし、この音盤聴いたことがないのです(涙)。
何とか手に入れて聴いてみたいですね。