幸せな結末

eiichi_ohtaki_siawasenaketumatsu.jpg貧乏暇なし、と言うが、最近めっきり多忙である。
少し前には、直前(極端な場合は当日)のお誘いもすぐに対応できたのだが、今はまったくもって無理。とはいえ、決して潤沢に資金が回っているわけではないからやっぱり「貧乏暇なし」なのだが、この言葉の真意って何なのだろう?

よく自虐的にこの言葉を使うことがある。そう言う人に限って絶対に貧乏ではない。言葉通りに捉えると、お金がない時は余裕もなく、寸暇を惜しんで働かなきゃならないということだろうが、暇なく世のため人のために働くことで、本当は金銭的にも潤い、すべてが上手くゆくはずなのだ。「貧乏暇なし」というのは夜明け前であることを仄めかした粋な表現なんじゃないかとふと考えた。

ところで、大瀧詠一の記念すべきファースト・アルバムには「びんぼう」という楽曲が収録されている。

福生の仙人とってお金があること、ないことなどどうでも良いことらしい。本当の幸せはどこにあるというのか?1997年、12年ぶりに突如リリースされた大瀧のシングルCDは「幸せの結末」と「Happy
Endで始めよう」の2曲だった(これが最新楽曲なのだろうか?最近はきちんと彼の情報を追っていないので不明)。

「幸せな結末」

「Happy Endで始めよう」

本当の幸せとは、愛する人と「素直に」表現し合える、そういう状態に常にいられるということだ。やっぱり精神的にも物質的にも余裕がないと無理ということね・・・(笑)。よし、がんばろう。

大瀧詠一:幸せな結末


2 COMMENTS

雅之

おはようございます。
私ら貧乏人の一般庶民はみんな興味があって、「絶対に貧乏ではない」御多忙で富裕層におられる岡本さんは全くご存じないと思いますが、今、ワールドカップという、サッカーの世界大会を南アフリカでやっていまして、私など毎晩夜中にテレビに釘付け、睡眠不足でかないません。それでも私は、試合観戦中の「暇な時間」は、最高に幸せな時を過ごせます。
事左様に、「幸せ」「不幸」「裕福」「貧乏」なんていう言葉は、私達の脳が作った概念であり、自分の中でも、昨日と今日と明日で価値観がコロコロ変われば、概念も同様にコロコロとコペルニクス的転回を来します。
・・・・・・今のような考え方をするようになったのは、桁違いの大金持ちからギリギリの生活費でやりくりしている人まで、いろんな人を見てきたからでしょう。その中で億単位の年収がある人と年収300万円くらいの人は、どちらも幸せに、お金の呪縛に縛られることなく楽しく暮らしていると感じました。ところが中流と呼ばれる比較的高収入な人たちは、ちょっとだけリッチな生活を送りたいがために馬車馬のように働き、身も心もすべて会社に捧げている。定年を迎える頃には満身創痍で、体力も気力も家族との絆も、何も残ってはいない。現実にはそんな「中流」の不幸に陥る人が非常に多いのです。
(中略)
お金をずっと稼ぎ続けるためには、お金を中心にした生活をしないといけないから。嫌な人たちと付き合ったり、粉飾決算の手伝いをしたり、問題のある商品を消費者に売りつけたり……。それがお金を得るために必要ならばするという判断基準になっていく。その結果莫大な財産を手にしたとしても、今度はそれを失いたくないという不安にかられる。いつも不安を抱えているためか、そういう人たちは概して無表情で、喜びをあらわにすることがありません。反対にそこそこ貧乏な人たちは表情豊かで、白いご飯を食べて「おいしいね」「幸せだね」と素直に言うことができる。金持ちは文句が多いんです。「お米の粒が立ってない」とか言って。人間なんて吉野家の丼物一杯で幸せになれるものなのにね。・・・・・・幸せな「貧乏父さん」の暮らし方  森永卓郎  PRESIDENT Online より
http://www.president.co.jp/pre/backnumber/2004/20040705/843/
※余談『クラヲタは文句が多いんです。「音の粒が立ってない」とか言って』(爆)
「大瀧詠一ワールド」の魅力については、何回も語りあってきましたので・・・・・・。
ところで、ブルックナーの弟子達との合議による悪名高き改訂版の評価も、このところコペルニクス的転回で評価が高まってきており、新録音が増えつつあります。
(過去コメントで書いてきました、予想どおりの展開・・・笑)
http://www.ne.jp/asahi/jurassic/page/oyaji2/oyaji_91.htm#vanska
いつも大変勉強させていただいている上記サイトを読んで、ヴァンスカのブルックナー:交響曲第4番のSACDを買って聴いてみました。
改訂版、いやあ、なかなか素晴らしいじゃないですか!!
>本当の幸せとは、愛する人と「素直に」表現し合える、そういう状態に常にいられるということだ。
ブルックナーが、愛する弟子達と「素直に」表現し合った幸せな結果による改訂版こそが、作曲家が最終的に意図した版だとしたら・・・。幸せって、相手との協調と妥協の産物で生まれるのかも・・・。
しあわせって何だっけ何だっけ・・・(笑)。

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岡本 浩和

>雅之様
おはようございます。
>「絶対に貧乏ではない」御多忙で富裕層におられる岡本さん
何をおっしゃいますか!!僕なども貧乏人の一般庶民でございます(苦笑)。
>事左様に、「幸せ」「不幸」「裕福」「貧乏」なんていう言葉は、私達の脳が作った概念であり、自分の中でも、昨日と今日と明日で価値観がコロコロ変われば、概念も同様にコロコロとコペルニクス的転回を来します。
まったく同感でございます。
>いつも不安を抱えているためか、そういう人たちは概して無表情で、喜びをあらわにすることがありません。反対にそこそこ貧乏な人たちは表情豊かで、白いご飯を食べて「おいしいね」「幸せだね」と素直に言うことができる。
森永さんのおっしゃること、その通りだと思います。勉強になります。
>ヴァンスカのブルックナー:交響曲第4番のSACD
こちらは未聴ですが、第4の改訂版は実はなかなか聴き応えありますものね。聴いてみたいです。
>ブルックナーが、愛する弟子達と「素直に」表現し合った幸せな結果による改訂版こそが、作曲家が最終的に意図した版だとしたら・・・。
そういう考え方も可能ですよね。原典版主義などというのは後世の人間の概念による幻想みたいなものかもしれませんね。

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