早起きは三文の得

boris_godounov_1869_gergiev.jpg現在第145巻まで刊行されているユーラシア・ブックレットは、「ブックレット発刊によせて」というあとがきによると「ロシア・ユーラシア諸国に関する多面的な情報を提供するだけではなく、日本ではあまり知られていないこの地域の広くて深い世界を楽しんでいただくこと」をも目的としているそうで、手軽に読め(1冊につき60ページほどの小冊子)、しかも内容が相当に充実しているという点でかっこうのシリーズだと思う。
第115巻「ムソルグスキー~『展覧会の絵』の真実」(一柳富美子著)にざっと目を通したが、これまであまり知られることのなかった作曲家の私生活や名曲「展覧会の絵」のまさに「真実」が語られており、滅法面白い。中で、第3章は「ロシア・オペラの最高峰『ボリス・ゴドゥノフ』」と題され、この途轍もなく巨大な名作について、その成立や初演の経緯、あるいはムソルグスキーがここで何を語りたかったのかなどわずか10ページほどで簡潔にまとめられている。
あわせて3つの稿をもつ「ボリス」であるが、1869年に生み出された初稿はマリインスキー劇場から、女性が登場しないこと、物語が特異で陰惨であること、さらには音楽があまりにも新し過ぎることなどを理由に上演許可がおりなかった。それを受け、作曲家は即座に改訂・補足を加え第2稿を発表、1874年1月27日にようやくこれが件の劇場にて上演されることになるのだが、そもそもなぜムソルグスキーは許可も下りないような型破りのオペラを書いたのか、その理由が一柳富美子氏によって次のように解説されている。

「元来イタリア・オペラを毛嫌いしていたムソルグスキーは、第1稿では明らかにイタリア・オペラの決まりごとを全て廃したアンチ・イタリア・オペラを、それが許されないと分かった第2稿では、徹底的にイタリア・オペラのパロディを書いたのだ。分かりやすい番号付き、分かりやすい旋律を持った朗々と歌うテノール、賑やかな民衆の明るい合唱、主要キャストによる洒落た三・四重唱、美しいヒロインとそれに恋するテノール、愛の二重唱、愛の終わりと悲劇の結末またはハッピーエンドの大団円・・・これら全てが第1稿には全くない。一番覚えやすいアリアが酔っぱらいの破戒僧のバスなのだから、実に爽快かつ滑稽だ。さすが『結婚』で実験オペラを書いただけのことはある。斬新な音楽―これがムソルグスキーの一番の狙いだった。」(32ページ~33ページ)

なるほど、こういうことを知るだけでもうドキドキワクワクする。作曲者の深層心理、真意を読みながら作品を聴くという行為、クラシック音楽の楽しみはそういうところにある。

ムソルグスキー:歌劇「ボリス・ゴドゥノフ」(1869年版)
ニコライ・プチーリン、オリガ・トリーフォノワ、ズラータ・ブリチェワほか
ワレリー・ゲルギエフ指揮キーロフ歌劇場管弦楽団&合唱団

ゲルギエフはこの第1稿のほかキャスティングを変更して第2稿もあわせて録音しているのだが、この2つの版を聴き比べてみると、確かにムソルグスキーが意図した事実が手に取るようにわかる。「ボリス・ゴドゥノフ」というオペラに一層興味を持った。ただし、残念ながら僕はまだまだ勉強不足で語り切るだけの経験を持ち合わせていない。これからじっくりと研究してみたい音楽の一つである。

久しぶりにまだ夜が明けぬ早朝に起床。僕の場合、朝シャワーとチベット体操を日課にしているから出発時刻の最低でも1時間15分前には布団から出なければならない。さすがに夕方近くに一瞬睡魔に襲われたが、何とか持ち越した。だんだんと空が白み始める頃に活動を始めるのは身体にも心にも良い。自然体で生きることを推奨する以上、夜明けと共に目覚め夜更けと共に床に就くという生活が本来的ゆえ、自らそういう生き方を実践すべきなんだろうとあらためて考えさせられた。

7:00~8:30、リソウル麹町ROOMでの「朝キャリア実践会」。「『人間力』向上の鍵は『あるがまま』にある~人間力ブラッシュアップのためのヒント講座~」と題して正味1時間。一方的な講義形式だと間違いなく眠くなってしまうので、いくつかの体験ワークを交えて進めた。それに、お伝えしたいことは膨大にあるのだが、とにかく1時間でまとめなくてはならないというプレッシャーもあった。特に開始直前はただならぬ緊張感に襲われたが、一旦始めてしまえばスムーズに事は運んだ(少し流れが強引だったようにも思うので、その点は今後の反省点ではあるが)。

帰宅後、1件アポイントを済ませ、午後は九段下にある株式会社ピグマに向かう。ピグマ社とは一昨年のベンチャー企業新人合同合宿研修以来のおつきあいで、この4月の研修に向けて参加企業を募るため2時間のオープン研修を開催した。5社7名の代表または人事関係者にご参加いただき、「他者に意識を向けること」、「感謝の念をもつこと」、そして「チームワークの醸成」などをテーマにいくつかの体験ワークを中心に進めたが、好評をいただけたようだ。


3 COMMENTS

雅之

こんばんは。
ムソルグスキー、ラヴェル、ベルリオーズは3人とも猪年らしいですね。
興味深いブログのコメントを見付けました。
http://www.nhk.or.jp/amadeus-blog/100/12333.html
岡本さんの今回の本文とともに、「むさくるしいのが好きな男」さんの上記ブログのコメント(投稿日時:2008年10月07日 17:33 )も勉強になりました。何気なく膨大な知識が身に付くので、ネットのメリットは大きいです。
ご紹介の盤、2つの稿が比較できるし、話題になりましたね。所有はしておりますので、これを機に真剣に聴いてみたいです。
今朝はいつも使用しているパソコンのシステムがクラッシュし、送信できませんでした。先日も申しましたような多忙も重なり、当分の間、コメントの頻度は少なくなると思います。

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岡本 浩和

>雅之様
こんばんは。
なるほど、ご紹介のブログは興味深いですね。
本当にネットというのは凄いですね。
知らないことだらけだということがよくわかります。
毎々ありがとうございます。
コメントの頻度の件、ご心配なく。
コメントがないときはお忙しいんだろうなと思ってますから(笑)。

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アレグロ・コン・ブリオ~第4章 » Blog Archive » 時代がムソルグスキーに追いついた

[…] ショスタコーヴィチの第14番交響曲を聴いていて、ムソルグスキーのオペラ「ボリス・ゴドゥノフ」の雰囲気、語法と極めて近い世界を感じる。調べてみると、第14番そのものはムソルグスキーの「死の歌と踊り」の伴奏部を1964年にオーケストレーションしたことが契機になって生み出された作品のようだから、ショスタコーヴィチも19世紀のロシアのこの天才の影響を少なからず(というか大いに)受けているのだろう。少人数の室内楽的管弦楽団によって演奏される音楽だが、まるでロシア・オペラのような土俗的な暗さと懐の深い広大さが全編を覆う。なるほどショスタコーヴィチを理解するにはもちろん彼の作品の実演体験が不可欠なのだろうが、一方でロシア音楽の先達たちの音楽についても克明に研究するべきだと再確認した。 特に、42歳で狂死したモデスト・ムソルグスキーについては知らないこともまだまだ多く、作品についても有名どころを繰り返し聴いて来たに過ぎないから、この際並行して深く追究してゆこうかと考える。 そういえば、ムソルグスキーの「ホヴァンシチナ」前奏曲のショスタコ・アレンジは、以前ゲルギエフによる「展覧会の絵」がリリースされたその音盤に付録でついていたが、ショスタコーヴィチとムソルグスキーの魂のふれあいを間近で感じられるようで(ショスタコらしいスパイスを効かせながら決してムソルグスキーに対する畏敬の念を忘れていない傑作アレンジ)、メイン曲よりむしろそっちの方を一生懸命聴いた記憶が蘇ってきた(嗚呼、通称「モスクワ河の夜明け」よ!)。シャルル・デュトワが昔録音したリムスキー=コルサコフ版と比較して聴いてみると性質の違いが見事に出ていて面白い(ちなみに、アバドがリリースした「はげ山の一夜」オリジナル版が収録されている音盤にもこの前奏曲は入っているけど、こちらはどの版なのだろう?時間が無くて今日は取り出せないが、じっくりまた聴いてみたいところ)。 […]

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