シューリヒト指揮ウィーン・フィル ブルックナー 交響曲第8番(1963.12録音)

アントン・ブルックナーの、フェリックス・ワインガルトナー宛手紙。
自身の交響曲第8番の内容について、彼は次のように書いている。

第1楽章には主題のリズムに基づく、トランペットとホルンの楽節がありますが、それは「死の告知」です。それは途切れがちながらしだいに強く、しまいには非常に強くなって姿を現わします。終結部は「降伏」です。
スケルツォ。主要主題は「ドイツの野人ミッヒェル」と名付けられています。第2部で野人は眠ります。彼は夢の中で自分の歌を見付けられず、嘆きながら寝返りを打ちます。
終楽章。我が皇帝がその頃オルミュッツで、ロシアのツァーリの訪問を受けた時の模様です。弦はコサックの騎行。金管は軍楽隊。トランペットのファンファーレは、皇帝たちが出会う場面。最後にすべての主題(おもしろく)、タンホイザー第2幕で王が登場する場面のように、ドイツのミッヒェルが旅から帰ると、すべてが光輝に包まれます。フィナーレでは葬送行進曲と変容が(金管で)奏されます。

田代櫂「アントン・ブルックナー 魂の山嶺」(春秋社)P272-273

作曲当初からのイメージを具体的に記すブルックナーの音楽的革新と確信は、それを理解しない周囲たちによって簡単に潰えた。

第1楽章の冒頭は壮大ですが、展開部はお手上げです。
終楽章にいたってはちんぷんかんぷんです。いったいどうすればいいやら。彼がこの状況を知ったらと、それを考えるとぞっとします。彼に手紙など書けません。一度リハーサルを聴きに来てくれと提案すべきでしょうか? 考えあぐねて、心安くしている有能な音楽家にスコアを見せたのですが、彼の意見もやはり演奏不能でした。

(1887年9月30日付、ヘルマン・レヴィからヨーゼフ・シャルク宛)
~同上書P241-242

いかに当時の音楽家たちが無能(?)であったか。否、先を見通す力に劣っていたか(ブルックナーが先を行き過ぎていたのだが)。おかげで自己肯定感の低いブルックナーは、ますます内にこもることになる。神経症を再発させ、数に対する異常な好奇心も昂じていたそうだ。

・ブルックナー:交響曲第8番ハ短調(1963.12.9-12録音)
カール・シューリヒト指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

改訂に改訂を重ねられた交響曲は、最終的には成功を収める。初演の日、楽友協会ホールの桟敷にはブラームスやハンスリックの姿もあったという。

ブルックナーは「第8番」初演後に「赤い針鼠亭」でブラームスと顔を合わせた時、おずおずとあの作品がお気に召したかと訊ねた。
「ブルックナーさん、あなたの交響曲は理解できません」
この時はさすがのブルックナーも、むっとしてこう答えたという。
「私にもあなたの交響曲は同じことです」
だがブラームスは明らかに「第8番」の力量に感銘を受けていた。彼は出版者ハスリンガーに勤めている友人に、スコアを送ってくれるよう依頼している。

~同上書P281-282

それは、間違いなく人類の至宝である。結果的にブルックナーが推敲を重ねたことにより、緊密で論理的な傑作が誕生した。しかも、シューリヒトのような軽快かつ快速テンポで繰り広げられる解釈により、作品の素晴らしさは一層際立つことになる。
厳かな第1楽章アレグロ・モデラートの威容。そして、ブルックナーが野人の眠りと題しただ2楽章トリオの甘美さはシューリヒトならでは。しかし、それ以上に素晴らしいのが、前人未到の颯爽たる第3楽章アダージョから終楽章にかけての圧倒的感銘。録音から60年近くが経過しても決して色褪せない内容に言葉がない。もちろん僕が初めて耳にしてから40余年が経過するが、様々な名演奏を体験した今でもシューリヒトの演奏は他を冠絶する。

これは演奏会ではない。音楽的頂点における至福の時であり、贈り物として受けとめられ、生涯忘れられることはない。批評は空虚となり、後に残るのは感動と深い感謝の思いである。
ミシェル・シェヴィ著/扇田慎平・塚本由理子・佐藤正樹訳「大指揮者カール・シューリヒト―生涯と芸術」(アルファベータ)P336

録音の数日前のコンサートの圧倒的成功の裡で書かれたフランツ・タシエの言葉が重い。それにしても、終楽章の第3主題のフーガ的展開(第1楽章第1主題の回想!!)から疾風の如く過ぎ去るコーダのあまりの美しさ。

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