モルゴーア・クァルテット第40回定期演奏会を聴いて思ふ

morgaua_quartet_20140626どこかで見たのかも、あるいは読んだのかもしれない・・・。ジェルジ・リゲティはコミュニストなのか?いかにも「神」を表現するような音楽が繰り広げられた。しかしその「神」はあまりに人間的であまりに現実的なんだ。
そして、遅れてきたプログレ・ファンの渇きを十分に癒すひと時だった。2年ぶりのモルゴーア・クァルテット最新盤を聴いた時、「危機」については多少疑問符が付いた。しかし今宵、果たして実演に触れ、やっぱり音楽というものは時間と空間の芸術で、「生」を聴かないことには判断できないものだとあらためて実感した。
「原子心母」も「レッド」も、そして「危機」も、これほどに演奏者の魂がこもり、命の懸かったエネルギッシュな音楽はない。「レッド」における、原曲にはみられないディナーミクの妙味に感激した。そして、「原子心母」の前奏での、いかにも前衛的な響きに卒倒した。さらに、「危機」第3部”I Get Up I Get Down”の霊妙な静けさとオルガンの立ち上る重低音をよくもまぁ4挺の弦楽器のみでこれほどに表現したものだと呆れた・・・。ブリッジを経て、インストゥルメンタルのクライマックスに突き進む第4部”Seasons Of Man”は弦楽四重奏による完璧な「ロック」。

モルゴーア・クァルテット第40回定期演奏会
2014年6月26日(木)19:00開演
浜離宮朝日ホール
・リゲティ:弦楽四重奏曲第2番(1968)
・ショスタコーヴィチ:弦楽四重奏曲第13番変ロ短調作品138(1970)
休憩
・ピンク・フロイド:原子心母(1970)
・キング・クリムゾン:レッド(1974)
・イエス:危機(1972)
~アンコール
・キース・エマーソン:ザ・ランド・オブ・ライジング・サン
モルゴーア・クァルテット
荒井英治(第1ヴァイオリン)
戸澤哲夫(第2ヴァイオリン)
藤森亮一(チェロ)
小野富士(ヴィオラ)

リゲティの中間楽章におけるピチカートはポリリズムの極致。あの凄味は音を聴いているだけでは絶対にわからない。まさに目の前で繰り広げられる緊張感を伴った静寂の中でしか体感できないものだ。冒頭楽章はいわば「ビッグ・バン」。突如として天と地が現れ、自然と宇宙が鳴動する。そして、その静寂の中から「偉大なるもの」が姿を見せるのだ。
その上、ショスタコーヴィチに「陰陽」「表裏」、すべてが二元の内に在り、しかもそれらが渾然一体となりひとつになりゆく様を見た。ヴィオラで奏される主題はまるで「トリスタン」の感応であり悶え。その旋律が湛えるそこはかとない愛の響きに僕は思わず心奪われた。演奏終了時のひたすら長い、聴衆の息を凝らす様にあらためて感動した。何とお行儀の良い・・・。作曲家と演奏者への敬意に満ちるコンサート!!

それにしても「危機」の凄かったこと。なるほど、前奏のSEはああやって弾いているのか!とか、何より楽曲の細かいところまでを弦楽四重奏で完璧に再現されるものだから感服の連続。幾つ言葉を並べても今夜の感動を巧く表現することができない。もどかしい・・・。

ところで最後に、今日は「定期」だからプログレの話はほどほどにと言いながらも荒井英治さんは語ってくれた。
採り上げた楽曲は1968年から1974年という、同時代に書かれた作品たちだと。でありながら、それぞれがこうも違うのかと再確認したと。
強いて言うなら、リゲティの音楽は「沈黙の音」を聴かせ、ショスタコーヴィチは少ない音ながらそれぞれの音の意味を聴かせるもの。そして、ロック音楽は圧倒的な音量を持つ「音そのもの」を聴かせるものだと。なるほど、首肯。

アンコールは東北大震災の祈りのためにキース・エマーソンが書いたピアノ曲を弦楽四重奏にアレンジした短くも静かな「ザ・ランド・オブ・ライジング・サン」。素晴らしかった。

音楽に「垣根」はない。「国境」もない。すべてがひとつにつながる・・・。

 

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