クーベリックの「わが祖国」

smetana_kubelik_czeck_po.jpg全てが決して順調とはいえないが、順調じゃないことが順調なんだとここのところ心底思えるようになった。昨日も会社を辞め、転職活動をしている若者と話したのだが、最高の営業成績をあげておきながら、とある問題が発生して異動になり、その後は(本人曰く)まともな仕事に就けてもらえず、成績も散々だったと嘆くのだが、そういう経験をしなければいけない時期だったんだからそれはありがたいことだと感謝した方が良いよとアドバイスした。

当たり前のことだが、時間のつながりには「途切れ」がない。昨日があって今日があり、今日があって明日がある。「今」起きていることは、良いことであれ悪いことであれ、必ず過去にその種を自分が蒔いているんだということに気づけば途端に楽になる。一見それがどんなに「許せない」、あるいは「残念な」状況であったにしても、そこから学んでいること、吸収していることは必ずあるわけで、そういう経験をしたから今ここでこういう出会いを持ち、こういう経験ができているんだということなのだから、そのことを決して忘れちゃいけない。人間というもの、「感謝」という言葉を忘れたときに何だか警告のように壁にぶち当たるものなのかな。

オリンピックを観ていても、それぞれの選手にドラマがあり、そこには信じられないような魔物が潜んでいたり、逆に幸福の天使が現れるようなことが起きる。織田信成選手の靴紐が切れるというアクシデントなどは、本人によると事前に危ないとキャッチできていたもののコンディションが変わることで演技に支障が出るだろうことを嫌ってあえてそのまま出たということだから、運が悪いといえば悪いが、全くの自己責任であり、それも必然だったんだと捉えた方がいいのかもしれない。また次のオリンピックでより良い成果を上げるための糧になるならそういう経験も「よし」なのである。「若い」ということは素晴らしいことだ。

ついつい「感謝の意」を表することを忘れる輩が多い。そのことだけは何が何でも気をつけねば、と僕自身にも常に言い聞かせている。

スメタナ:連作交響詩「わが祖国」全曲
~1990年「プラハの春」音楽祭オープニング・コンサート
ラファエル・クーべリック指揮チェコ・フィルハーモニー管弦楽団(1990.5.12Live)

何とクーべリックが42年ぶりに祖国のオーケストラを振ったというまさに記念碑的な演奏会の実況録音。
この音楽は「お祭り」気分にさせてくれるところが凄い。作曲者自身、決して万全の体調ではなかったという時期、梅毒の影響で聴覚を失いつつあったという時期に書き連ねた6つの交響詩はどれもが名作であり、祖国チェコの風景を表す叙事詩であると同時に、スメタナ自身の心を表す抒情詩でもあるのだ。クーべリックはこの曲集を得意にしていたようで、何種もの録音が残されているが、当盤は最後から2番目のもの。彼は明らかにライヴの人である。実演に接し得なかったことが返す返すも残念でならない。

さて、明日は「ファンタジー・カーニバル」&「ロシアン・ファンタジー」の開幕である。準備もすっかり整い、あとは本番を待つのみ。ご来場いただけるお客様に満足いただけるような最高の舞台になりますように!!


2 COMMENTS

雅之

おはようございます。
>織田信成選手の靴紐が切れるというアクシデント
>運が悪いといえば悪いが、全くの自己責任
私は、自分に対しては「自己責任」を強く意識して行動しているつもりですが、他人の行動の結果について、訳知り顔で軽々しくこの言葉を使いたくはありません。他人の本当の事情は第三者には決してわからないのですから、後で自分の認識や伝え聞いた内容とは違う真相を知って、大恥をかく危険があります。
それにこの言葉、岡本さんがどういう趣旨で使われようが、小泉さんや勝間さんのイメージがどうしても強すぎるんですよ、私の中では(多分常識的にも)・・・。因みに最近同様に使いにくくなったもうひとつの言葉に「幸福」があります、某宗教団体に間違われそうで・・・、難しい世の中ではあります(笑)。
織田信成選手の不運、五嶋みどりの、有名な「タングルウッドの奇跡」を思い出しました。
《1986年(14歳)、いまや語り草となった事件はこの年のタングルウッド音楽祭で起きた。レナード・バーンスタインの『セレナード』をバーンスタイン指揮のオーケストラと共演した際、その力強い演奏でE線を2度も切るというアクシデントに見舞われた。当時みどりは3/4サイズのヴァイオリンを使用していたが、コンサートマスターやアシスタントコンサートマスターから、素早くフルサイズのヴァイオリンを借りて演奏を完遂した。これにはバーンスタイン自身も彼女の前にかしずき、驚嘆と尊敬の意を表した。翌日のニューヨーク・タイムズ紙には、「14歳の少女、タングルウッドをヴァイオリン3挺で征服」の見出しが一面トップに躍った。また、この時の様子は、「タングルウッドの奇跡」として、アメリカの小学校の教科書にも掲載された。》・・・・・・ウィキペディア記事より
http://www.youtube.com/watch?v=04pXykKsO_k
>「若い」ということは素晴らしいことだ。
まったく同感です。
織田さんにも今回の苦い経験が、「災い転じて福となす」になることを祈りたいです。
「災いも三年たてば役に立つ」(《句》災いでも時が立てばしあわせのもとになることがある。年月がたつと事情が変わるというたとえ。・・・・・・学研現代国語辞典より)という言葉も贈りたいです。
クーべリック「わが祖国」についても100%同感です。映像もLD当時から所有しております。
ところでチェコ・フィル、エリアフ・インバルが首席指揮者に就任しましたよね。
http://www.hmv.co.jp/news/article/1001040040/
ショスタコーヴィチの交響曲第11番やマーラー交響曲第10番(クック版)など、私もこの新しい組合せで、ぜひ一度聴いてみたいものです、来日公演で演奏してくれないと難しそうですが・・・。

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岡本 浩和

>雅之様
おはようございます。
>他人の本当の事情は第三者には決してわからないのですから、後で自分の認識や伝え聞いた内容とは違う真相を知って、大恥をかく危険があります。
おっしゃるとおりですね、返す言葉もございません。
ただ、弁明するようですが、僕は「自己責任」というのは良い意味で捉えています。本文にも書いたように、自分を振り返ってみると「必ず今の状況の原因を自分がどこかで作っていることが明らか」になります。まさに因果の法則です。ただ、どんな状況でも「災い転じて福となす」ではないですが、学びのためにあると思うと前向きになれるんですよね。昔船井さんがよくいわれていた「すべて順調」という意味がよくわかります。
ただし、やっぱり第三者にはわからないことですから、自分のことはともかく「他人のことを言及」する際には気をつけないといけないですね。ありがとうございます。
タングルウッドの奇跡!!
まさに!です。
>ショスタコーヴィチの交響曲第11番やマーラー交響曲第10番(クック版)など、私もこの新しい組合せで、ぜひ一度聴いてみたいものです
このあたりの曲はまだまだ勉強不足ですので、雅之さんにご教示ただきながら僕も聴いてみたいです。

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