ゲーテ生誕260年目の日に・・・

dieskau_salzburg_schumann.jpgそれにしても東京は人が多過ぎる。金曜日のほぼ終電という時間帯は、おそらく本来はこんなものじゃないのだろうが、息が詰まるほどの人ごみで、満員電車に慣れていない僕にとっては相当に苦痛で、もうしばらくは御免だと実感した瞬間であった。

ただし、会そのものは初めて会う人しきりで、なかなかに面白いものがあった。たまには夜の六本木界隈で何も考えずに飲み耽るのもいいものである。

ゲーテの「ファウスト」に基づく音楽作品は多い。ゲーテ自身はこの戯曲に音楽をつけられるのはただひとりモーツァルトだけだと考えていたようだが、この作品が完成した時、残念ながらこの天才は既にこの世の人ではなかった。

形而上的な世界、極めて難解な文豪畢生の大作だが、「すべて」がテーマになっていることを知り、あくまで「韻文」的なものとしてイメージで捉えていけば、少しずつとはいえその内容が把握、理解できそうだ。この作品をしっかりと読み込んだという人は少ないだろう。1回や2回斜め読みした程度では絶対に理解し得ない作品だから・・・。

ゲーテ誕生260年目のこの日に、せっかくなので「ファウスト」にまつわる音楽でも堪能してみようと思ったが、さすがにどれも重い。オルフェオ・ヒストリカル・ライブ・シリーズでフィッシャー=ディースカウがザルツブルク音楽祭で歌った編集盤を取り出して、シューマンの「ファウスト」からの情景抜粋を繰り返し聴いた。
「ファウスト」第2部から、『日の出』、『ファウストの失明』、そして『ファウストの死』の3つの部分。合計で16分少々ゆえ気軽に聴きとおせる。特に、フィナーレの場面は内容といいシューマンの創作した音楽といい、まさに「すべて」が表現され尽くした傑作であると僕は思う。

フィッシャー=ディースカウ・ザルツブルク音楽祭ライブ~
シューマン:ゲーテの『ファウスト』からの情景
ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(バリトン)
ヴォルフガング・サヴァリッシュ指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(1961.7.29Live)

ちなみに、「ファウスト」からの情景に関しては、アバドがベルリン・フィルと録音した音盤を所有しているものの、シューマン晩年のこの大作の全貌に関しては残念ながら研究不足であまり多くを語れない。時間をかけてゆっくりとその背景や作曲過程、あるいは音楽そのものについて勉強しながら自分のものにしたいとつくづく思っている。いつことになるやら・・・。

2 COMMENTS

雅之

おはようございます。
>ゲーテの「ファウスト」に基づく音楽作品は多い。
ゲーテを軸にして、クラシック音楽を研究すると面白いでしょうね。
しかし、これだけクラシックの作曲家に影響を与えたゲーテですが、どうも私は近寄りがたく、長い間、それほど興味を持てませんでした。ご紹介のシューマンの作品も、「ファウスト」自体が苦手なので、それほど好きではありませんでした。クラシック・マニア失格ですよね(苦笑)。
数年前、私がゲーテに開眼するきっかけとなりましたのは、岩石コレクターとしてのゲーテにたどり着いたからです。私もこの分野、クラシック音楽と同様に入れ込んでおりましたので、親近感を抱きました。
・・・・・・ゲーテは20代半ばのころ、ワイマール公国の顧問官としてイルメナウ鉱山を視察したことから鉱山学、地質学を学び、イタリア滞在中を含め生涯にわたって各地の石を蒐集しており、そのコレクションは1万9000点にも及んでいる。なお針鉄鉱の英名「ゲータイト(goethite)」はゲーテに名にちなむものであり、ゲーテと親交のあった鉱物学者によって1806年に名づけられた・・・・・・
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B2%E3%83%BC%E3%83%86
次に、『ゲーテ 色彩論』(木村直司訳 ちくま学芸文庫 2001)で、彼が晩年に心血を注いだ『色彩論』(しきさいろん Zur Farbenlehre)について知りました。この件についても、書物からより手っ取り早いので、「Wikipedia」より引用します。全文読んでみてください。多分岡本さん好みの主張で、共感できる部分が多いと思います。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%89%B2%E5%BD%A9%E8%AB%96
・・・・・・ゲーテの色彩論がニュートンの光学と根本的に異なる点として、色の生成に光と闇を持ち出しているということがある。ニュートンの光学はあくまで光を研究する。闇とは単なる光の欠如であり、研究の対象になることもない。だがゲーテにとって闇は、光と共に色彩現象の両極をになう重要な要素である。もしもこの世界に光だけしかなかったら、色彩は成立しないという。もちろん闇だけでも成立しない。光と闇の中間にあって、この両極が作用し合う「くもり」の中で色彩は成立するとゲーテは論述している・・・・・・
私が興味深かったのは、ゲーテが、光を単に波長として科学的・即物的に捉えるだけではなく、西洋音楽と同じように、波長の持つ調性を人間の精神と結びつけて考察したことです。
『ゲーテの《ファウスト》からの情景』全曲 、ちょうどアーノンクール&コンセルトヘボウのSACDが先日発売されたばかりでしたので、購入して聴いてみようかと考えていたところです。アーノンクールは好きではありませんが、『楽園とペリ』のSACDで、彼の演奏から作品の素晴らしさを教えてもらえましたので・・・。
「シューマンのことを考えるとき、わたしはドレスデンのカフェに彼が居るところを思い浮かべます。そこでワーグナーとメンデルスゾーンに毎週会っているのです。かれらはだいたい同じくらいの年齢だったし、3人みなザクセンの生まれでした。ワーグナーの名声にとって幸いだったのは、ほかの2人が若くして亡くなってしまったということでしょう。つまり、ワーグナーと同時に、シューマンとメンデルスゾーンがもっと長生きをしていたら、音楽史はまったく違うものになっていたということです。わたしはシューマンを3人の中でもっとも偉大な天才と考えます。」・・・・・・ アーノンクール(キングインターナショナル HMVレビューより)

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岡本 浩和

>雅之様
おはようございます。
本当にゲーテにまつわる作品は多いですよね。いかに彼が後年の作曲家に影響を与えたかがよくわかります。それに、おっしゃるとおり「近づき難い」イメージがありますね。ある程度年齢を経ないとゲーテの「意味」はなかなか理解できないと思います。
「ファウスト」も40歳を超えてようやくその真意が少しですがわかるかなという程度です(何せ60年という歳月をかけて完成した大作ですから、そう簡単に理解されても困るでしょうが)。
このシューマンの作品も、シューマン通の雅之さんにいろいろご教示願おうかと思っていたのですが・・・。
>岩石コレクターとしてのゲーテ
そうらしいですね。「色彩論」も僕は未読ですが、最近本屋の店頭で見かけて、「へぇ、そんなものまで書いてるんだ」と思いました。ウィキペディアの記事を見た限りではとても共感できます。僕が好きな世界観です。非常に興味深いですね。
>私が興味深かったのは、ゲーテが、光を単に波長として科学的・即物的に捉えるだけではなく、西洋音楽と同じように、波長の持つ調性を人間の精神と結びつけて考察したことです。
同感です。一層ゲーテについていろいろと知りたくなりました。
アーノンクールの言葉、少々主観が過ぎるようにも思いますが、そういう「考え方」も確かにあるなと納得します。「ファウストからの情景」、感想をぜひお聞かせください。

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