ヒューマン・モーメント~フィッシャーの「皇帝」

beethoven_5_fischer_furtwangler.jpgふぅ、さすがに疲れた。朝7時に家を出て滋賀県を往復。新幹線とはいえ移動は身体に堪える。とはいえ、誰にも邪魔されない密室での数時間はとても貴重。普段なかなか通読できない本を読み、あれこれ物事を考える。先日も紹介したウェイン・ベーカー著「ソーシャル・キャピタル」をじっくり読んでいて、次のような記述にあたった。

医学博士のエドワード・ハロウェルが説いた「ヒューマン・モーメント(人間的なコンタクトの瞬間)」と呼ぶ機会をもつことの重要性が書かれている個所。

ヒューマン・モーメントとは、いったい何であろうか。必須の条件が二つある。それは①当事者同士が物理的に一緒にいること、②当事者が互いに注意を向けていること、である。しかし、物理的に一緒にいるだけでは不十分である。飛行機の中で誰かと隣り合わせで10時間乗っていても、そのフライト中でヒューマン・モーメントを持てたとは言えない。そして、注意を向けるだけでも不十分である。電話の相手に注意を向けたとしても、それはヒューマン・モーメントにはならない。
ヒューマン・モーメントは、絶大な影響力を持ち、そしてエネルギーを必要とする。そのため、よく考えて使わなければならない。1時間もの間、ヒューマン・モーメントを効果的に継続できる人はあまりいない。それはきびきびとして、ビジネスライクでも、そして手短でも構わない。必ずしも、感動的であったり、感情に訴えるものであったりする必要はない。たった5分間の会話であっても、当事者が積極的にかかわれば、大きな違いを作り出すこともできる。ヒューマン・モーメントを働かせるためには、いまやっていることを中断し、いままで読んでいたメモを下に置き、ラップトップ・コンピューターから手を離し、白昼夢からも目を覚まし、そしてあなたと一緒にいる人に注意を向けなければならない。

ヒューマン・モーメント、要は僕が再三言及する「親和」だ。やっぱりコミュニケーションの質をいかに向上させるかがポイントなんだな・・・。

20時からのお通夜には参加できなかったが、最後のお別れができてよかった。時間を作って行った甲斐がある。こういうのもヒューマン・モーメントというのかな・・・。

ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第5番変ホ長調作品73「皇帝」
エドウィン・フィッシャー(ピアノ)
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮フィルハーモニア管弦楽団

深夜の帰宅後、あえて第2楽章だけを聴く。明日の講座に備えてという意味合いもあるが、この音楽がまさに「ヒューマン・モーメント」というものを想起するように感じたから。指揮者とオーケストラと独奏者の三位一体が生み出す「人間的なコンタクトの瞬間」。この演奏がスタジオ録音でなくライブだったならもっともっと「人間的なコンタクトの瞬間」を体感できるものであったろうに。しかし、そのことを差し引いてもさすがにフルトヴェングラーとフィッシャーはエネルギーを循環させているのが手に取るようにわかる。


4 COMMENTS

雅之

おはようございます。
フルトヴェングラー&フィッシャーのような正統的超名演を紹介されると、私は早稲田出身なので、学生時代に培われた自慢の「反骨精神」が、つい頭をもたげます(大ウソ、詐称!)。
なんで「皇帝」の演奏は、いつも男性の往年の巨匠の演奏家ばかり紹介されるんですか?差別だ!偏見だ!権威主義だ!
私の推薦盤は内田光子?、いや、また岡本さんやふみさんが得意になられて大絶賛されそうだから、やめとこっと。ラローチャや田部京子もいいけど、ふみさんの強烈なコメントの後ではちょっとインパクトが弱いかなあ?
本当のお薦めはグリモー盤なんだけど、
http://www.hmv.co.jp/userreview/product/list/2557808/
これも岡本さんに共感されそうでイヤだしなあ。
私の本日のおすすめ盤は、お二人やクラオタから、物が飛んで来そうなくらい反発されそうな名盤(迷盤ではないですぞ!)で・・・。
フジコ・ヘミング(ピアノ)ユーリ・シモノフ指揮モスクワ・フィルハーモニー響
http://www.hmv.co.jp/product/detail/3519938
笑わば笑え!演奏に奏者の人生を感じて、何が悪い!
しかし、こういうことをクラオタがいくら偉そうに論争しても、所詮音楽の価値観とは、その人にとって「好き」か「嫌い」か、ただそれだけです。
ただそれだけ・・・。時々私が数学や物理や、理科系の価値観に憧れるのは、そういう虚しさを感じた瞬間なのです。
いつになったら地球上の人類全員が、ベートーヴェンの「第九」の世界のように、ひとつになれるんでしょう?

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岡本 浩和

>雅之様
おはようございます。
>なんで「皇帝」の演奏は、いつも男性の往年の巨匠の演奏家ばかり紹介されるんですか?差別だ!偏見だ!権威主義だ!
おっしゃるとおりです(笑)。残念ながら本当に僕の趣味も偏ってるんですよねぇ・・・。特に、「皇帝」などは若い頃にさんざん聴いて、今や新しい音盤が出ても買ってまで聴こうとしなかったものなのでついついこういう選択になってしまいます。
内田&ザンデルリンクは◎です。グリモー盤もおそらく◎でしょう(「おそらく」というのは聴きたいと思いながら結局購入していないのです)。
>フジコ・ヘミング(ピアノ)ユーリ・シモノフ指揮モスクワ・フィルハーモニー響
えーーーーー、マジですか!!ほんとに笑っちゃいますよ。
2年前に彼女がプライベートリハをしているときに偶然立ち会ったのですが、ひどかったですねぇ。フジコがコンサートを開くたびに結構完売になってて、マスコミの宣伝に踊らされてるだけだろうと鼻で笑っていたんですよね。
でもひょっとするとこの「皇帝」は1回限りのライブを聴くつもりで聴いてみると面白いのかもしれませんね。機会あったら一度聴かせてください。
いや、びっくりしました。
>所詮音楽の価値観とは、その人にとって「好き」か「嫌い」か、ただそれだけです。
ほんとそうです。ま、それが「感性」だし「個性」ですからね。絶対的なものなどどこにも存在しないわけです。
>地球上の人類全員が、ベートーヴェンの「第九」の世界のように、ひとつになれるんでしょう?
二元論、相対論で物事を捉えているうちは無理でしょうね。
感情を越えたところに全てを包括したところに答があるように思います。

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雅之

>二元論、相対論で物事を捉えているうちは無理でしょうね。
同感です。東洋との融合を試みた、ジョン・レノンやジョージ・ハリスンやジミー・ペイジやコルトレーンや武満徹の気持ちが、今、痛いほど理解できます。
西洋医学も、東洋医学も、その他の医学も、みんな重要ってことと同じですね(笑)。

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岡本 浩和

>雅之様
>東洋との融合を試みた
多分、「試みる」という意思が働いたのではなく、ついつい「試みさせられた」という感覚に近いのではないかと思います。考えてできるものじゃないと思うのです。ベートーヴェンの「革新性」なんかもそんなように僕は感じます。うまく説明できませんが、本人の意思というより神の意思のような・・・。

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