朝比奈隆指揮大阪フィルの八橋検校「六段の調」ほか(1969.4録音)を聴いて思ふ

皆川達夫さんによる、八橋検校の筝曲「六段の調」が、キリシタン期に歌われていたラテン語聖歌「クレド」の影響を受けて作曲されたものだという説はとても説得力あるものだ。あの、何とも表現し難い、魂洗われる純粋な旋律を持つ筝曲が、いわゆるキリスト教音楽と密接な連関があったというのだから実に衝撃的。

朝比奈隆が1969年に、大栗裕の編曲による「六段の調」を(翌年開催の大阪万博を記念して)スタジオ録音していたことはディスコグラフィーで見かけて知っていた。しかし、録音から数十年が経過し、それまでどんなショップでもそのレコードを見かけたことがなかったし(資料によると、万博記念ゆえ日本よりも海外の中古レコード店で見かけることが多かったという)、ましてやCD化される可能性も低いだろうと思っていたので、聴きたくても聴く術がずっとなく、僕は諦めていた。

ところが、2年前についにCD化され、期間生産限定盤としてリリースされた。僕は胸が躍った。

果たして初めて耳にした朝比奈の「六段の調」は、純邦楽器と西洋楽器が見事に融合した、宗教という概念や時間と空間を超えた真に美しくも愛らしく神々しい音楽だった(大栗裕の編曲によるせいだろう、実に庶民的な音響が本当に素晴らしい)。

しかし、箏の弦の音色については、かつて評論家安田武氏が朝日新聞紙上(1976年7月12日付夕刊、文化欄)に寄稿された一文くらい、大きなショックをわたくしに与えたものはない。今もその記事を保存しているが、「音色脅かす蚕の人工飼料—琴・三味線には悲しい近代化」と題するその一文は、農林省が蚕の人工飼料の開発に「世界で初めて」成功したというニュースを枕に、すでに箏や三味線の音色は昔日の面影を失っていることを指摘している。
「日本の楽器」
柴田南雄著「日本の音を聴く」(青土社)P87

たぶん、録音に使われた箏はナイロン弦ではなく、古からの優雅で深い音色を醸す絹糸のものであろう。録音を通してもその雅で奥行きのある音に驚くべき感銘を受ける。

・八橋検校:六段の調(大栗裕編曲)
・瀧廉太郎:荒城の月(須山知行、大栗裕編曲)
・吉沢検校:千鳥の曲(大栗裕編曲)
須山知行(箏、独奏&本手)
中島警子(箏、独奏&替手)
川島竜子、野田登志子、横田二三子、田中佐久子(箏、重奏)
樋本栄(ソプラノ)
朝比奈隆指揮大阪フィルハーモニー交響楽団(1969.4.23録音)

大栗裕の手によって名曲「荒城の月」が(13分近くを要する)一大交響詩として蘇る。神仏宿る旋律を持つこの曲は、原曲に山田耕筰が手を入れた版が一般的だろう(僕自身も山田耕筰版に馴れ親しんでいたが、原典は、「はなのえん」の「え」に♯が付いていて、何とも不思議な寂寥感を伴う。ちなみに、大栗も編曲にあたって採用するのは山田版のように僕の耳には聴こえる)。編曲は少々冗長な感も否めないが、それでもこの名作の、言葉のない美しい変奏に浸ることで一層深い意味が理解でき、とても満足感を覚えるのだ(万博の前哨戦に相応しい!)。

そして、吉田検校の「千鳥の曲」は、千鳥にまつわる2つの和歌を取り込んだ唄。原曲の日本的エキゾチックさ(?)を失わず、それでいて西洋的な歌い回しに違和感を覚えないのは、大栗の編曲の妙か、それとも樋本の歌唱の巧さか、あるいは朝比奈指揮大阪フィルの自然体の演奏のせいか。

言葉を超えてこそ音楽は人々の魂に安息を与えるのだという証だろう。
大栗裕生誕100年、朝比奈隆生誕110年の日に。

 

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