ハンヌ・リントゥ指揮都響第842回定期演奏会Aシリーズ

見事な音の物語。
クレルヴォ交響曲がこんなに素晴らしい音楽だとは思ってもみなかったので、予想以上に感動した。ここにある高揚感は、それこそナショナリズムの極致であり、ひとりひとりが自ら物事を決定し、行動するという意志の顕現がどの瞬間にも垣間見られたことが奇蹟的。

第1楽章導入部アレグロ・モデラートから、弱音と強音のメリハリのついた、そして、低弦部が地鳴りのように響く演奏に大いなる期待が湧いた。そして、第2楽章「クレルヴォの青春」のナチュラルで幻想的な音楽が、脳裏に明確な映像を喚起した。リントゥの棒がうなり、東京都交響楽団の演奏がうねりにうねった。
それにしてもメインとなる第3楽章「クレルヴォと彼の妹」における人間味溢れる男性合唱の瑞々しさと深み。中間の合唱部が、壮絶な音響を呈したとき、僕たち聴き手に与えた衝撃はいかばかりだったか。

クレルヴォ、カレルヴォの子、
甚だ青い靴下をはく子は、
革作りの箱を開け、
絵のかかれている蓋を開いて、
すべての銀を彼女に示し、
最も選ばれた布地を拡げ、
金の刺繍の靴下も見せ、
銀の飾りの帯も見せた。
(菅野浩和訳)

思わず嘆息。
実の妹を犯したことに良心の呵責を覚えるクレルヴォの苦悩の部分は、もっと能天気で変に明るいものだと思い込んでいたが、今日のリントゥ&都響の演奏は、とても美しく、そしてとても悲しく表現されていた。

悲しいかな、幸いなきこの身、
悲しいや、哀れなわが全家族、
悲しくも私はわが妹を、
わが母の娘を犯した!
(菅野浩和訳)

第3楽章を頂点とし、続く第4楽章「戦いに赴くクレルヴォ」の勢いと前進性。また、終楽章「クレルヴォの死」の暗澹たる音調でありながら透明な浄化の響きに感動。絶妙なパウゼと、静けさと咆哮の交錯が実に官能的。死とはまさにエロスであることを物語るような演奏に大いに感銘を受けた。何よりオーケストラの絶叫を受け、最後に合唱が厳かに歌い上げるシーンがあまりに美しかった。そして、壮絶なアッチェレランドに痺れた。

ここに若者は滅びた、
英雄クレルヴォは死んだ、
こうして男の子の生涯は終った、
幸少ない英雄は死んだ。
(菅野浩和訳)

東京都交響楽団第842回定期演奏会Aシリーズ
2017年11月8日(水)19時開演
東京文化会館
ニーナ・ケイテル(メゾソプラノ)
トゥオマス・プルシオ(バリトン)
フィンランド・ポリテク男声合唱団(男声合唱)
サーラ・アイッタクンプ(合唱指揮)
山本友重(コンサートマスター)
ハンヌ・リントゥ指揮東京都交響楽団
・シベリウス:クレルヴォ交響曲作品7―フィンランド独立100周年―
~アンコール
・シベリウス:交響詩「フィンランディア」作品26(男声合唱付)

今夜のプログラムは、アンコールが最初から発表されていたことがミソ。
「フィンランディア」は、なるほど冒頭はどこか「ジークフリートの葬送音楽」を思わせる曲調だが、隷属国家はある意味一旦滅びなければ再生はないのだということだ。主部に入ってからの金管群の天晴な咆哮に感動。あるいは、中間で男声合唱が「賛歌」を歌い上げる場面での低弦部のずしんとした地割れのようなうなりに一層感心。
ちなみに、コーダに向って突進する音楽の解放と、一糸乱れることのない都響のアンサンブルにも舌を巻いた。

自律あっての協調。すべては民族自決の高揚感。

 

ブログ・ランキングに参加しています。下のバナーを1クリック応援よろしくお願いいたします。


音楽(全般) ブログランキングへ

にほんブログ村 クラシックブログへ
にほんブログ村


1 COMMENT

コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください

アレグロ・コン・ブリオをもっと見る

今すぐ購読し、続きを読んで、すべてのアーカイブにアクセスしましょう。

続きを読む