読売日本交響楽団第585回サントリーホール名曲シリーズ カンブルラン指揮「トリスタンとイゾルデ」

yomikyo_tristan_20150913326「トリスタンとイゾルデ」の衝撃を目の当たりにした。
初演から百数十年、数多の人々を狂わせたこの楽劇の真髄を垣間見た。これは、トリスタンとイゾルデの死の肯定と一体化の物語であると同時にマルケ王の覚醒の物語だ。分断された現実世界を余所目に幻の世界を肯定する、まさにパラレル・ワールド。

例えばその第2幕ほど崇高なものは他に類を見ません。特に私たちの楽派に属するというわけでない、あれこれの音楽家にその一部を聴いてもらって、私はいろいろのことを知りました。例えばある人は、驚きのあまり言葉少なにこう語りました。「このようなものをワーグナーが作るとは―これは彼が書いたもののうちで群を抜いて最高に美しいものだ―ここで彼は、現在考えられる限りで最高の理想に到達している」。
(ハンス・フォン・ビューロー「『トリスタンとイゾルデ』について(1859)」)
名作オペラブックス7「トリスタンとイゾルデ」(音楽之友社)P276

音楽が時間と空間を超える最たる芸術であることを思い知る。
第1幕前奏曲から鬼気迫る感。それこそ呼吸と音量と、さらには音の高低の妙。シルヴァン・カンブルランはオーケストラを見事にコントロールし、一切の弛緩なく全幕を一気に聴かせてくれた。
最初の幕のブランゲーネの意味深い歌唱に心奪われた。それこそ第2幕のトリスタンとイゾルデの二重唱の内に重要なパートを占める「見張りの歌」の伏線となる場。そして、終盤、主役二人が媚薬を飲むシーンの恍惚と最後のマルケ王を敬う「万歳」シーンの対比!!!まさに幻と現実の錯綜であり、三次元世界と五次元世界の混在。ここでもカンブルランのバトン・テクニックは冴え、ワーグナーの内にある2つの世界を巧妙に表現する。

読売日本交響楽団第585回サントリーホール名曲シリーズ
2015年9月13日(日)15時開演
サントリーホール
ワーグナー:楽劇「トリスタンとイゾルデ」(演奏会形式)
・第1幕 アイルランド国からコーンウォール国へ向かって航海中の船の上
休憩
・第2幕 コーンウォール国のマルケの王館の中の、イゾルデの部屋の前庭
休憩
・第3幕 ブルターニュのカーレオールにあるトリスタンの居城の中
エリン・ケイヴス(トリスタン、テノール)
レイチェル・ニコルズ(イゾルデ、ソプラノ)
アッティラ・ユン(マルケ王、バス)
クライディア・マーンケ(ブランゲーネ、ソプラノ)
石野繁生(クルヴェナール、バリトン)
アンドレ・モルシュ(メーロト、テノール)
与儀巧(若い水夫・舵手・牧人、テノール)
新国立劇場合唱団
長原幸太(コンサートマスター)
シルヴァン・カンブルラン指揮読売日本交響楽団

第2幕は本日の白眉であったが、当然の如くクライマックス、すなわちトリスタンとイゾルデの二重唱の妖艶な音楽と、そこに突如として絡むブランゲーネの二人を引き離すかのような醒めた歌に寒気が走る。ここのアンサンブルはまさにワーグナーの天才。
なるほど、トリスタンは昼を怖れる。昼とは現世であり、引き裂かれた世界。その逆、夜は来世であり、「すべてがひとつである」ことを示す。死とはひとつになるための旅の始まりなのだ。夜を求めたトリスタンの死はほとんど自殺紛いでないのかと思われるくらい。きっとトリスタンは輪廻転生し、別の姿に生まれ変わってあらためて「タントリス」を演じるのだろう。
ちなみに、トリスタン役のエリン・ケイヴスの歌は最終幕で危うい箇所があったものの肝腎の第2幕は素晴らしかった。そして何より、マルケ王演ずるアッティラ・ユンの私怨と憎悪の表現の壮絶さ。とにかく重厚で透明な声質の素晴らしさ。圧倒的。

ところで、緊張感が多少緩んだ第3幕であったが、トリスタンとクルヴェナールのやり取りにはじまり、イゾルデが登場する頃の熱気に思わず目が覚めた。死を目前にしたトリスタンの・・・、そして自己犠牲的にすべてを委ねようとするレイチェル・ニコルズ扮するイゾルデの・・・、言葉にならぬ音楽の凄まじさ。最終シーンのマルケ王の懺悔に感動し、そしてそして、「イゾルデの愛の死」の優しさと力強さに思わず涙がこぼれた。女は偉大だ。

イゾルデよ、
どうしてこんなことをしてくれたのだ?
このわしが前には理解できなかったことが
一点の曇りもなく明らかになり、
友に罪のないことを知って
無上の歓びを味わったというのに!
おまえを
このやさしい男の妻にしようと
帆にいっぱい風をはらませ
おまえのあとを追ってきたのに、
禍いが猛り狂い、
平和をもたらしに来たこのわしが
こんな無残な場に立ち会うことになろうとは!
思い違いが死人の山を築いたが、
このわしも死神の収穫をふやすことに手を貸したのだ。
日本ワーグナー協会監修/三光長治/高辻知義/三宅幸夫監訳「トリスタンとイゾルデ」(白水社)P137-139

この世はすべて誤解なのである。人間は考える葦であり、であるがゆえ思い込みの動物だ。
とはいえ、死は崇高だ。その点、マルケ王は進化途上か・・・。

※追記
「トリスタン」の興奮冷めやらぬ丑三つ時。
第3幕、北村貴子さんの奏でる牧笛(イングリッシュホルン)の抜群の巧さに感応したことを思い出す。
そして、第1幕終盤、オーケストラとバンダとの優れた立体感にも感動。
余計な演出のない、演奏会形式であるがゆえの音楽を堪能。
とにもかくにもここでは語り尽くせぬ名演奏。

 

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